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人間は本来「善」なる性質を持っている・・・と考えるか「悪」だと考えるかでそこから導き出される結論は正反対。
少し前の投稿に性悪説に立つ人のこの地球の未来の姿が書かれていた。曰く、この文明は人間のために滅ぶ・・と。
そしてまた別の投稿者は「私は人間は性善説に立つと考えています。」と断り、なにやら結論らしきものが書かれていた。
まぁ、性善説に立つのも性悪説に立つのも個々人の自由ですから良いわけですが、性善説、性悪説と断り、そこから話を始めれば、どこかの誰かが述べていたように両極端な話になってしまうのが落ち。
「善なるもの」と信じてルールを甘くし、マナーに委ねると、途端に図に乗る輩が溢れる。確かに「仏性、良心」などに従えば人間は善なる生き方をするが欲望の身を任せると悪路一直線の生き方をしてしまう。
企業や国家など個人とは別の化け物においても利益優先拡大を目標にすれば欲望に身を任せる人間と同じように悪の道一直線になってしまう。今の世の中、この化け物が好き勝手し放題になっているわけで、化け物の目標を「利益追求や拡大発展」ではなく、仏性や良心に根ざしたもの、あるいはそれに近いものに変えねばこの先人類も地球も持たない。
話を戻して「人間とは善なる存在か悪なる存在か?」という問いがあったらあなたはどう答えるか?
「私は善だと思います」・・とか、「いやいや悪ですよ」という答えではどうしようもない。身体に備わった五感という感覚の好悪で行動をしてしまう人は悪路一直線へ向いてしまう。しかし心に備わっている仏性、良心に耳を傾け五感の好悪にブレーキをかけ猛進しないようにする人は小市民でいられる。そして心に備わった仏性や良心こそ意味あるものだと五感の好悪を大いに抑制すると聖人に近づく。
ということで、人間とは善か悪かと二分するのは適切ではないし、善にも悪にも向くように両方備わっいる厄介な代物なのだということなのだろう。