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(回答先: なるほど、勉強になりました。(笑) 投稿者 heart 日時 2006 年 4 月 15 日 12:29:18)
私は人生の最後の仕事として、もう一つの論を為したいと思っているのですが、どうなるものやら分かりませんが。
その論というのは、「民主主義は人類を滅ぼす」というものです。ちょっと驚かれるかも知れませんが、現実の民主主義国から軍備はなくなりませんし、戦争もなくなりません。それはなぜかというと、民主主義というものは、その構成員の「多数派の欲望」を具現化する為の権力行使に勤しむ権力機構を構成する目的を持つからです。簡単にいえば、「より多数の人間の欲望を充たす政治システム」が民主主義である、いうことです。
この「多数派の欲望」が人倫も地球環境も無視して突っ走ると、戦争でも環境破壊でなんでやらかします。民主主義にはこの「多数派の欲望」を制御する装置(理念)が備わってません(宗教などの補完に頼っているようですが)。これは致命的欠陥だと想う訳です。ですから、世界中が民主主義国になれば平和な世界が訪れると、熱心に運動している人達には怒られるかも知れませんが、民主主義は人類の欲望を制御出来ずに、その欲望のままに暴走して人類の滅亡まで誘う政治システムであると想うのです。
それでは、民主主義に代わるものはあるのか、ということになります。これはまだホンの入り口なのですが、この星体・地球を主(ぬし)として、人類をの寄食者と定義付ける理念が必要ではないかと、思考している次第です。元々、私は人類は縄文時代まで戻るべきだ、そうすればまだまだ数十万年、数百万年の長き人類の生命が確保出来ると考えております。
「この星体・地球を主(ぬし)として、人類をの寄食者と定義つける理念」は「縄文時代まで戻るべき」への誘導路ということになります。勿論、縄文時代への戻りにも300年間ぐらいは掛かるだろうと予想はしてますが。ただ、このような考えに着いて来てくれる人がいるものやらどうやら、皆目見当が付きませんが(笑い)。
この構想は勿論、現代の諸問題の殆どを解決出来るものにしたいと想ってます。どこまで知恵を絞れるものか分かりませんが、自分の持つ知の限界まで到達する夢を果たせたらいいのですが。
オマケ、
現代の社会問題の解決方法として、年代対応型というものかなり有効ではないかと想いますので、考えに入れてみてください。年代対応型というのは、たとえば老年者を消費型社会から切り離して、自給型社会での暮らしに変える事によって、大量消費を抑え、環境破壊の減少に貢献させる、というようなことです(老齢人口が25%であれば、その効果は大きなものとなるでしょう)。勿論、老年者の生活の場を過疎地などに大量に用意した無賃住宅に住まわせる、などという政策と連動させるわけですが。これまた、一文を要すような論説になりそうですから、中途ですがここで打ち切ります(申し訳在りません)。