★阿修羅♪ > 雑談専用17 > 396.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: やはり、大学受験をそれを支える、産業、官僚が大問題か。こげばんさん、私も賛成です。 投稿者 東京音頭 日時 2006 年 3 月 31 日 22:29:28)
東京音頭さん、こんにちは、横レスにて失礼します。
こげぱんさんとの英語教育談義を楽しく拝聴していて、多少観点は違いますが、日頃考えていたことを少し述べてみたいと思った次第です。
さて、英語教育のニーズについて考えてみますと、大別すれば、1)社会政策的なニーズ(特に国の教育政策を反映しています。)、2)業界のニーズ(商取引や学術研究に関する実務を推進するため、また教育機関にとっては商品でもあります。)、3)個人のニーズ(個人のキャリア・アップのためや留学のためです。)の3つがあると想われます。
元々も今も英語圏ではない日本において、しかしここ東京の都心部では既にカタカナ英語ではなくて、英語のスペルそのものが氾濫しています。中には読むことも意味を捉えることも容易ではない単語やフレイズが目に付くようになってきましたし、最早国の英語教育が追いついていけないような様相を呈しています。例えば“贈呈”よりは“プレゼント”に、さらには“present”が定着しつつあるようです。戦前の初等教育下の人達にとっては東京の都心部の外観は異国と紛うものではないでしょうか。
けれども、私には何のために国民全体に英語教育を施すのか日本の英語教育の主体的な趣旨が理解できません。戦後、義務教育の中に英語教育を導入した当時、供給側の政府や文教官僚達が英語に関する社会全般のニーズを正確に把握していたのか、あるいは国際社会の発展状況をどのように展望していたのか、甚だ怪しいものだと想っています。そして、国の政策が右往左往し、定まっていないことには現在も何ら変化がないと観ています。大部分の当面は日本で暮らす人達が英語の日常会話に勤しむことが何故必要なのか、素朴な疑問です。
私は業界のニーズに応えていくことは重要だと考えていますし、また実務の英語は英語が持つ思考方法を習得する上でも必要であると思っています。この分野ではCommunicationの構成要件は大雑把にはReading>Writing>Speaking>Hearingの順に措かれるでしょう。例えば、実際の貿易実務はRésuméを基にdocumentationしていくプロセスですから、Conversationの動的な側面はどうしても補完的なものにならざるを得ません。
しかし、英語教育を供給する側(大学や専門教育機関)がこうした業界のニーズを正確に把握し、果たしてそれとマッチするようなプログラム・デザインのカリキュラムや相応しい教師を提供できているかといった問題があります。大学の教養課程で提供される従来のレベルの英語教育では全くお話になりません。
個人のニーズは多種多様で一概には謂えないのですが、真剣にキャリア・アップや留学を考える人ならば教育機関の選択も慎重になるのは無論のこと、何よりも自身の語学レベルの再点検から始めることでしょう。そのような個人のニーズにきちんと対応している教育機関が国内にどのくらい存在するのか、やはり実に心許ないものであると推察しています。
それでも、個人の文化的素養を高めると云った意味では日本語の感性に特徴的な情感と英語の論理性が有する明快さを身につけることは思考の豊かさを増幅させることになるでしょうし、さらにはビジネスや留学(居住)を通じて英語圏の文明の摂取や文化の理解に資すると想っています。
>実は、私は、学校教師の経験もあり、担当は、英語ではなく社会科でした。生徒たちが社会科、歴史嫌いになる大きな原因は、先生の能力を棚に上げれば、この受験制度(つまり、歴史は暗記力競争になってしまった。)なのです。歴史を始め、社会科や、(多分国語もだと思いますが)英語などを、本来みにつけて欲しい実力をきちんと設定し、それへの客観的な評価の方法を考え出す努力を文部科学省役人を始め、政府はまったくしてこなかったと感じています。
おそらく教師のご経験は日本においてのものであろうと推察します。確かに暗記力競争の観を否めない歴史教育ですが、私は日本の戦後教育の利点は世界史の記述が概して中立的であったこと、学生達にとって少なくとも世界へ眼を向けるインデックスの役割を果たしたことにあると思っています。詳しく調べてはおりませんが、おそらく中等教育において自国史ばかりでなく世界史までを教えているのは日本を含む僅少ではないでしょうか。
以前より是非お尋ねしたいと思っていましたが、東京音頭さんが在住のオーストラリアの実情は如何でしょうか。英国との関係や特に独立の経緯がどのように記述されているのか、大いに興味があります。勿論、オーストラリアの人達の標準的な世界認識がどんなものなのか、東京音頭さんの見解を伺いたく思っています。
また、会いましょう。