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(回答先: 神の代わりはお金でしょうか? 投稿者 haru 日時 2006 年 3 月 27 日 04:16:59)
haruさん、レスありがとうございます。
自然への畏敬の念は私も旺盛に持っているつもりです。
しかし、神とは?
神とは自然を擬人的に捉えた作り話だと思っております。
災害に会った人は神のバチが当たったなどと考えます。
しかし、どのような事をしたからバチが当たったのでしょうか?
天災にあって亡くなったり怪我をしたりする人の大半は何の罪もない人々でしょう。
しかし、現在は違ってきました。
化石燃料をジャンジャン燃やして二酸化炭素濃度を上げ地球温暖化に手を貸した人々は全て共犯です。
我々の物質的な行動が我々に罰を与えたのです。
神としての自然の怒りが我々を攻撃し始めました。
4月になろうとするのにこの寒さは何でしょう。
明らかに気候は変わってしまいました。
人間が変えたのです。
で、このような災いを招いたのは人間自身であり、
人間の行動を変えない限りいくら「神なるもの」にお祈りをしても自然は回復しません。
ただ祈っていさえすればいいという精神的怠惰を私は宗教に見るのです。
自分自身が引き起こした災難は自分自身が解決しなければなりません。
自然を破壊してやまない利潤追求型経済を作り上げてしまった人類は自然を破壊せず再生させる経済を作らないといけません。
経済とは人間を生かす為のしくみであり、そのしくみは自然再生に寄与するものでなければなりません。
兵庫県の豊岡市でコウノトリが生きられるような田んぼを作る活動が行われております。
農薬を使わない田んぼは生命の宝庫でありそのような場所でこそコウノトリは生きられるのです。
今日の神戸新聞にコウノトリが卵を産んだと一面に載ってました。
そのような田んぼで取れた米を買う消費者がコウノトリの支援者なのです。
これらの行動に神が介在する余地はありません。
しかし、この行動こそが自然を最も大事にする行動ではないでしょうか?
ただ、自然に畏敬の念を抱くだけではなく自然に対して自分に何ができるか?を考えるべきです。
自然こそが私たちの命だからです。
地球環境そのものが命を育む子宮であり我々は地球の赤子なんです。
子宮を破壊する赤子はいません。
これまでの人類は非常に愚かな自滅型赤子でした。
我々は神にではなく自然に帰依すべきです。
神の名による蓄財の肯定(カルビン)こそが現在の破壊を招いたのです。
金という物神に対する崇拝こそが最悪のものです。
幻想によって我々は支配された。
この支配から脱出し自然との絆を強化しなければなりません。
あらゆる幻想を批判し、現実そのもの(自然そのもの)に向き合わねばなりません。
自然破壊型経済と自然を人間が制御できると考える勘違いを批判しなければなりません。
自然を擬人的に捉えて甘く見るチャチな世界観を批判しなければなりません。
神は理想化された人間であり、「神は自分に似せて人間を作り給もうた。」よって「人類は万物の霊長である。」という驕り高ぶりが自然を破壊してきました。
神には自然を破壊する権利があるとでも言わんばかりに。
神とは人間が世界を支配してもいいというお墨付なのです。
神は自然そのものでは無く荒ぶる自然に人間が対抗する為に生み出した幻想です。