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(回答先: 神という存在 投稿者 haru 日時 2006 年 3 月 20 日 21:49:39)
haruさん、レスありがとうございます。
「人は何かに依存する事なしに生きられない。」という事は現時点では事実でしょう。
しかし、その依存状態から自立しようという精神は必要なのではないでしょうか?
例えば、今日本はアメリカ依存症にどっぷりと浸っております。
アメリカに逆らっては生きていけないと思っているから唯々諾々とイラクへも派兵したのです。
こういう姿勢は世界の人々からブーイングを浴びていると思います。
「神に依存する。」という事は「存在を証明できないもの」に依存する事です。
ここからあらゆる害が発生します。
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【haruさん】
神という存在
http://www.asyura2.com/0601/idletalk17/msg/273.html
投稿者 haru 日時 2006 年 3 月 20 日 21:49:39: tQR1Zy22P.JHM
(回答先: 極限状態が祈りを生む 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 3 月 19 日 20:09:23)
みなさん、お邪魔いたします。
ワヤクチャさん
>又、極限状態にならなくても人は神頼みになります。
>これは虫がいいのです。
>自分が努力しなくても神に助けてもらおうという依存的な精神です。
>こんな弱々しい精神の持ち主が社会に対していい影響を与える事はできないでしょう。
神という存在は、自分という存在に力を与える時に必要かもしれません。
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【ワヤクチャ】何故神なのでしょうか?存在が証明できないものによって一体どのような力が与えられるのでしょうか?又、そのような曖昧な存在に力を与えられた自分とは何でしょうか?又、自分に力を与えるという行いは何を意味するのでしょうか?その目的は何でしょうか?「苦しい時の神頼み」って言いますが、これは人間の愚かさを笑っている諺のように私に思えます。「そんなアテにならないものにしがみつく」愚かさです。
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【haruさん】
神でなくてもいいかもしれません、
ちっぽけな自分よりも大きな存在を意識する事。
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【ワヤクチャ】「ちっぽけな自分」という評価自体、実は全能の神との対比において「ちっぽけ」だと捕らえる言葉のマジックなのかも知れません。宗教によって過度に自己に対する過小評価が行われているのではないでしょうか?宗教の他には思想もそのような役割を果たします。マルクス主義は自分の命よりも大事な思想として捉える人も多くいます。しかし、思想とは言葉に過ぎません。言葉に過ぎないものが命より大事なんて事はあり得ません。
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【haruさん】
自分は孤独ではないのだ、とか、、
私は神と共にいる。力を、、とか、
神が私を見ていてくれる、、とか。
勇気とともに、自分以上の世界に一歩を踏み出す時に、、
ただ、その行為が他を穢す事がないのであるならば、、でしょうが。
依存的傾向を持たない人等はいないはずです。人はまず、親に依存し、
家庭に依存し、学校、仲間、地域に依存し、社会にまた依存しているのではないでしょうか?
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【ワヤクチャ】その現状認識は同意します。私は依存に甘んじる精神からは社会改革の思想は生まれないと主張しているのです。
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【haruさん】
自己責任という言葉が、他に対する責任というものを打ち消す為に
使用されることが多いように感じます。
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【ワヤクチャ】政治家は自己責任を主張するのは「政治は何もできない。」と言っているようなものです。税金を集めながら何もできないと言っているのです。では、その税金はどこへ行った?って事になります。ケネディの演説もそうです。「国に何をしてもらえるかと考えるのでは無く、自分が国に対して何ができるかを考えて欲しい。」とのたまったのです。政治家が言うべき言葉ではありません。税金泥棒とはこういう時に言うべき言葉です。
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【haruさん】
宗教の危険な事は、自分たちの価値観、思想を他へ強要してしまう事です。
弱々しい精神の人々がいるとすれば、彼らは危険ではないと思います。
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【ワヤクチャ】例えば「創価学会が天下を取れば世界は平和になる。」とか信じているのですが、その事を彼等は証明できません。公明党は自衛隊のイラク派兵に賛成しました。この時点で創価学会内の反戦派は分裂すべきなのです。しかし、分裂しませんでした。彼等は自分が詐欺師であると自覚しているからでしょう。意識的にやっている事です。依存的な弱々しい精神の人々は批判能力がありませんからおかしい事をおかしいと感じる事すらもできません。こういう連中がファシズムに迎合し、世の中に害を及ぼすのです。彼等は自分が何をやっているのかも分かっておりません。
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【haruさん】
危険なのは、むしろその教義を支えに自分達の価値観を押し付けようとする人々でしょう。
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【ワヤクチャ】彼等は弱々しい精神の人々に訴え支持を取り付けて一大勢力を作るのです。「騙すヤツも悪いが騙されるヤツも悪い。」とはこういう事です。我々はなるべく騙されないような人間になるべきなのです。「私は従順な羊です。」で許してもらおうという奴隷的な精神が世に害を及ぼすのです。
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【haruさん】
そして、その力に屈してしまう弱い人々が増えてしまう事、、
これは後から続いてしまうのだと思います。
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【ワヤクチャ】権力者は弱々しい依存的な連中を扇動して自分の敵対者を攻撃させるのです。創価学会がやっている事です。宗教的な脚色はこういった権力闘争を正当化する為の洗脳です。
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【haruさん】
失礼いたしました。
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【ワヤクチャ】いえ、レスありがとうございました。より鮮明に私自身の考えを示す事ができたように思います。