★阿修羅♪ > 雑談専用17 > 273.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 極限状態が祈りを生む 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 3 月 19 日 20:09:23)
みなさん、お邪魔いたします。
ワヤクチャさん
>又、極限状態にならなくても人は神頼みになります。
>これは虫がいいのです。
>自分が努力しなくても神に助けてもらおうという依存的な精神です。
>こんな弱々しい精神の持ち主が社会に対していい影響を与える事はできないでしょう。
神という存在は、自分という存在に力を与える時に必要かもしれません。
神でなくてもいいかもしれません、
ちっぽけな自分よりも大きな存在を意識する事。
自分は孤独ではないのだ、とか、、
私は神と共にいる。力を、、とか、
神が私を見ていてくれる、、とか。
勇気とともに、自分以上の世界に一歩を踏み出す時に、、
ただ、その行為が他を穢す事がないのであるならば、、でしょうが。
依存的傾向を持たない人等はいないはずです。人はまず、親に依存し、
家庭に依存し、学校、仲間、地域に依存し、社会にまた依存しているのではないでしょうか?
自己責任という言葉が、他に対する責任というものを打ち消す為に
使用されることが多いように感じます。
宗教の危険な事は、自分たちの価値観、思想を他へ強要してしまう事です。
弱々しい精神の人々がいるとすれば、彼らは危険ではないと思います。
危険なのは、むしろその教義を支えに自分達の価値観を押し付けようとする人々でしょう。
そして、その力に屈してしまう弱い人々が増えてしまう事、、
これは後から続いてしまうのだと思います。
失礼いたしました。