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(回答先: 宗教・権力の奴隷になってはいけない 投稿者 heart 日時 2006 年 3 月 19 日 15:44:04)
確かに極限状態が祈りを生むという事は事実でしょう。
死刑囚が宗教に救いを求めるという心理は理解できそうです。
しかし、救いはあるのか?という事が問題です。
冷酷なようですが「救いなど無い」というのが私の結論です。
「気休め」があるだけです。
こんな事を言う私は冷血漢でしょうか?
いや、「気休め」に過ぎないものにすがるという人間の弱さが様々な問題を生み出しているように思われるのです。
池田大作の言う通りにしておきさえすれば自分は救われると思うような弱わっちい精神こそが害悪を周囲にもたらすのです。
遠藤周作の「沈黙」というキリシタンの殉教者を描いた小説はその辺りの事を書いていると思います。
「救いは無いのだ。」と。
「人間は何にすがる事もなく自分で生きよ。」と言っていると思います。
それでこそ責任ある生き方であると。
自己責任という言葉は皮肉にも宗教批判の場合には成り立ちますね。
政治家が言うと政治家の役割放棄になりますが。
又、極限状態にならなくても人は神頼みになります。
これは虫がいいのです。
自分が努力しなくても神に助けてもらおうという依存的な精神です。
こんな弱々しい精神の持ち主が社会に対していい影響を与える事はできないでしょう。