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(回答先: Re: haru さんどうもです 投稿者 まとはずれのおせっかい 日時 2006 年 3 月 17 日 04:04:47)
まとはずれのおせっかいさん、レスを戴きありがとうございます。
無心と夢中について、
発心(?)の起こる人と、起こらない人の差、、、
私は基本的に自分の事しか知らないので、人を見る時に
自分と比べて人を評価してしまいます。
かつての自分とか、同じような境遇の時に考えた自分であるとか、、、
人は、他を理解する事、知る事、、
他人を決して完璧にはわかる事などないのではないでしょうか?
人というものは、自分の中にある他者、を想像して、
理解しようとするのではないでしょうか。
イコール、自分を知る事がまさに他を知るという事に繋がるのではないのか?
私は、そのように感じます。
その中では、人間というものには優劣等の差などはなく、
それぞれが等しく、他というものの為に存在、あるいは関与して
創造を行い、調和という音楽を奏でる為に生まれてきたのではないでしょうか?
>「無心」でことに当たることが、「人の生きるべき姿」なんだということだとおもいます まちがったらごめんなさい
恐縮です。しかし、私には人の生きるべき姿とは、などと語る事が出来ませんし、
また、その資格もあり得ません。
ただ、無心で事を行うことにより得られる喜びは知っております。
人にはそれぞれに道があり、その性質、性格により
様々な役目を背負っているのかもしれません。
真実かどうかは、さておき昨今、食べない人、眠らない人、偏食の人、等々
それまでの常識では、信じられないような生き方をする人物の報道がなされています。
我々が信じている常識、価値観、
どこまでが真実なのかの証明は、自分自身にその責があるのではないのか?
だいぶ横道にそれましたが、真実は自分が作るのではないのか?
世界は自分自身が作るのではないのか?
私は、この世界を作っているのではないのか?
そんな妄想をしながら、日々過ごしております。
とりとめもなくてすいません。
ありがとうございました。