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(回答先: 問題は「知」が どういう知かということ 投稿者 膝枕 日時 2006 年 3 月 12 日 00:01:46)
膝枕さん、レスをいただきましてありがとうございます。
愚かと言えば、、日に何度となく自分の愚かさに打ちのめされておりますが、
反省するなら猿でもできる、が如く
雑草のようにめげずに生きております。
申し訳ありません。
>「知」というものを「入力される情報」と言い換えてみると問題の本質が分かる気がする。入力される情報の意味を真偽を含めて自分の中の分析装置で判断分類できることが必要不可欠。この分析力が確かであれば「入力される情報」は多いほどよいし、質が高いほど更によい。
入力された情報と考えると人は往々にして自分なりの変換機で自分なりの言葉に変換して理解するのではないでしょうか?
それまでの経験、考え方、思考の組み立て方、トラウマ、等々
がフィルターとなって、、
言うなればコンバージョンでしょうか、?
常々感じているのですが、現代の人々は、生まれながらに情報の渦に置かれているからでしょうか、子供の頃から達観した考えを持った人が少なくないように思います。
現実、そういった子供達に太刀打ちできない親御さんも多いように感じます。
これも知の弊害でしょうか?
子供なら、野山で自由に遊んでいてほしい、、
と願いながらも現代ではそうはいかないようです。
>私は常日頃、この世で出会う人々を「自分を見失ってしまう人間」と「見失わない人間」とに分類している。「感情が支配してしまう人間と常に客観的に眺められる人間」と言い換えてもよい。で、私が「最低限の人間」と認識しているのは後者であり、前者には興味はない。(なんて冷たい人間なんだろう・・・と思う方がいるでしょうけど)
仰りたい事、、理解できます。
私も他人に対して分析してしまう癖を持っておりまして、
人からは冷たいと言われる事もたまにあります。
ただ、私自身は、よく自分を見失ってしまいます、、、
人に厳しく、自分に優しいという口なのでしょうか、、、(汗)
>いつの世も「分かっていない人が大半」というのが真相なんでしょう。だからこそ簡単に世論形成ができてしまいペテンがまかり通ってしまう。分かっていない人が大半なのに、「皆が判断力がある」という前提で同じ選挙権があるのだから政治の風向きなど変えられないのは当然の帰結。
民主主義の問題点ですね。
私の視点は、前の時代を少しでも知っているという経験から、
今変化している事柄について発言する事。
これを、私の責務だと勝手に思っている事でしょうか。
それとともに、知に対する欲があります。
それは、今ある現実や価値観が
たかだか百年程の間に作られ、変化してきたという事を
知ったからだと思います。
知を求める事はお金を追い求めるのと大差はないのでしょうか?
いな、そうではないと信じたいです。
若い方から、教わる事も確かにありますが、
少なからず、前を歩くものは、後に繋げる役を負っていると思います。
私は生きる意味を私の為のみではなく、他にも影響し関わっているのだという
喜びに見つけているのかもしれません。
しばしば、発言が突拍子もない物言いになる事があるのですが、ご容赦ください。
ありがとうございました。