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(回答先: ん?Kの陰口ですかぁ〜?(笑) でも、少し間違っているようですねぇ〜 投稿者 考察者K 日時 2006 年 3 月 12 日 09:46:24)
Kさん こんにちわ
別スレにレス付けしようとも思ったのですが、こちらの話の流れを半分流用しようと思い、こちらに書きました。かなりの部分はKさん宛の投稿内容になってますし。きっと目にするだろうという前提で勿論書いてますよ。同じ阿修羅に書き込んで「陰口」は成り立ちません。
さて
===kさん==========================
Kが阿修羅で行っているのは「問題提起」と「単純な考え方」、そして「気づきへの切っ掛けの提供」と自分では考えています。
一見、小難しそうに見えるのかもしれませんが、Kの主張は単純です。「誰でも、視点さえ変えれば安易に思いつくレベル」だろうと自分では考えています。
一応対応策も併記を心がけてはいますが、単純で誰でも考えつくレベルだろうと思っています。
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Sun Shine さんのコメントの中に「経験してから物を言え」というすばらしい言葉がありました。実は私、何を一番言いたいかと言えば、まさに「経験してから物を言え」に尽きます。Kさんの投稿は確かに「気づき」の提示という意味では評価しています、「さすがKさんだ」ともよく思ったりもします。でも何かが欠如している。その何かとは「経験してから物を言っているのか?」ということ。
今の世は収集しようとすれば大抵の情報は簡単にネットで収集できる。kokoponさんのような検索技術を少し身に付ければそれは本を何冊も読むより手っ取り早く大量の情報が入手できる(kokoponさん、いつもご苦労様です)、そしてその情報の中にはKさんが言うところの「気づき」なども数多見つかる。だからそういうものをまとめ、整理し発表するというのは意味があるし大切なことと評価はしています。
でもねぇ、やはり何かを知ったら何らかの行動に結びつくだろうし、行動という形にならなければ何を言ったとしてもそれ以上にはなりはしない。たとえば竹中半兵衛さんの(山小屋風)家屋改造記とか自家菜園奮闘記などを読むと、半兵衛さんの生き様が形になったものとしてよーーく伝わってくる。こうして形になったものというのは意義深い。私など「隠遁生活、山小屋生活、仙人もどき、魂の伴侶・・・」などの生き様の一片を時々書いたりしているように生き様は世間の常識人からはかなり隔たりがある。その隔たりとは即ち私自身の物の考え方の隔たり距離そのものなんだろうと思う。
人というものは何かを知り何かを確信すればその確信に沿った生き方、生き様を現すようになるものと私は思っている。逆に言えば、その人の生き様の形に表れたものを見ればその人物が「この世をどう捉えているか」さえ分かるというもの。この意味で言えば生き様が10年前と何も変わらないような人、世間の多くの人とと生き様が変わらない人というのは「問題意識」も所詮は借り物で言葉遊びに過ぎないのではないでしょうかね?
で、皆さん!皆さんの生き様はどんな形になってますか?いろいろ聞かせてください!!
掘っ立て小屋の脇に作った掘っ立ての東屋に屋外の囲炉裏を作り、そこで渓流魚の塩焼きを食べながら酒を酌み交わし、たわいも無い話をする。こういう「時」を実際に持ってみようと思い、それを実現すべく「形にしようと」する人っていますかね?