★阿修羅♪ > 雑談専用17 > 148.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
モラルハザード(倫理破壊)という言葉がある。前にバイオハザードというようなゲームがあったが、まあ、モラル(倫理)が消失したものが「勝ち組」となれるような社会を象徴する言葉である。
「抵抗勢力」とか「旧態依然」とか言うと余り良いイメージではないが、要は合理主義と人情主義の綱引きが今の政治では問題になっていると言えるだろう。
しがらみ、人情などの「人間の持つ弱い感情に負けては、生き残れない。全ては、冷静な合理主義の元に割り切るべきだ」という考え方が「小泉路線」である。
受けた恩、とか、過去の貢献度というような、過去に発生した「プラス・マイナスはその場で生産して」切り捨てて、これからの世界で「何にも、規制されず、自分にとって一番有利な道を生きる」というのが合理的な考え方だろうと思う。
例えば、ビル・ゲイツ氏のマイクロソフト創生期の生き様を見れば、モラルの欠片もないと思う人は多いだろうと思う。
ホリエモンについては
http://asyura2.com/0601/livedoor1/msg/531.html
あたりを読んでもらいたい。
【「あなたの起こした『事件』のおかげで、ニッポン放送は従業員数が2割減るんですよ。5人に1人が会社を去ることになって、申し訳ないと思わないんですか」
もちろん、2割減るといっても、フジテレビが引きとるわけなので、仕事がまったくなくなるわけではない。
とはいえ、ラジオ会社に勤めている人というのは、ラジオが好きで好きでたまらないマニアのような人たちなのだ。すでに中高年になったそんなマニアたちが、技術も生かせず、人脈もないテレビ会社に行って何ができるというのだろうか。
ところが、ホリエモンは一言。
「全然思わないね」 】
これが、合理主義的な考え方であり、ビル・ゲイツ氏と驚くほど似ている考え方である。
「自民党をぶっ潰す」として人気を得た「小泉氏」であるが、「古い体質の否定」とは、今までに形成された「人間関係に縛られる事への反逆」という意味合いであったのだろう。
これは言い方を変えれば「支え合う事によって形成される人(人という時は1が支え合うと書く)」を否定する。という考え方である。友人も伴侶(配偶者)も、場合によっては家族さえも、自分の進路の妨げになるのなら切り捨てる。と言う考え方である。
利己主義、自己中心的考え方の人が増殖しているとKは思う。
そのような人は「自分に優しく、他人に厳しい」「文句は言った者の勝ち、勝てそうな訴訟は行う」という行動になりやすい。
小泉政治の方向は「悪い事をしたらペナルティ」と言うだけで「全くモラル(倫理観)を良くしようなどとは考えていない」と言う事に気づかない人が多すぎる。
「他人が喜ぶ顔が見たい」のと「反則を取られなければ良い」では全然別物である。
「ペナルティを受けたくないからしない」のと「他人が嫌な思いをするからしない」のは全然別である。その差は「自分の良心」に起因するか否かにある。
既に「呵責に耐えるような良心を持たず、人間性などという部分を自ら望んで捨ててしまったような政治家」には「モラルのある社会」を論ずる資格もないだろう。
その代表的筆頭者の一人である小泉氏と竹中氏には「モラル」が何たるかも理解できないのではないだろうか?