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□ホリエモンは「新自由主義」の申し子だった〜自民党主流派の思想が形となって動き出した怪物〜/森永卓郎
http://nikkeibp.jp/sj2005/column/o/21/
ホリエモンは「新自由主義」の申し子だった
〜自民党主流派の思想が形となって動き出した怪物〜
私を愕然とさせたホリエモンの一言
前回も書いたように、私はライブドアの堀江前社長と3回会ったことがある。第1回の出会いで、彼がとてつもなく頭のよいこと、しかしそれと同時に心を許せる友人のいないことが十分に想像できたが、そのことは2回目、3回目と出会いを重ねるごとに確信に変わっていったのである。
彼との2回目の出会いは、2004年12月の暮れ、テレビ朝日の報道特番でのことだった。
この番組には、私やホリエモンのほかに、ハマコーこと元衆議院議員の浜田幸一氏も出演。この対照的な両者が、私をはさんで左右に座るという、なかなか不思議な状況であった。
そして、この番組のエンディングには、大雑把な筋書きがあった。
ハマコーが吠えるだけで吠えたところで、マツケンサンバが鳴り出し、紙吹雪が散る−−私はステージにハマコー氏を引きずり出して、一緒にマツケンサンバを踊るというものである。もしハマコー氏が踊ってくれなければ、もみあっているうちに終わりとなる予定であった。
ところが、番組の途中で想定外の事態が発生し、ハマコー氏は怒って帰ってしまう。いくらなんでも私が一人で踊るのも間が抜けているので、私は隣にいたホリエモンを誘うことした。
「しかたがないから、二人で踊りましょうよ」
「いや、やめておきます」
「なんで?」
「広報に『品位がないことをするな』と言われているんですよ」
「何言ってるの。社長なんだから好きなようにすればいいじゃないですか」
そういって、私が本当に引きずり出そうとするのだが、彼は頑として動かない。
結局、私が一人で踊ったというオチである。
彼は周囲との調和など、どうでもいいことなのだろう。テレビでホリエモンを見て感じた人も多いだろうが、彼は自分を格好よく演出することが、何よりも大事なのである。一人マツケンサンバを踊る私には、周囲と隔絶された彼の孤独感がひしひしと伝わってきたのであった。
ホリエモンとの3回目の出会いは、関口宏氏が司会をする「大定年」という番組であった。このとき私は、彼の考え方をはっきりと知ることができた。
私は、ニッポン放送乗っ取り事件を取り上げて、ホリエモンをこう問い詰めたのである。
「あなたの起こした『事件』のおかげで、ニッポン放送は従業員数が2割減るんですよ。5人に1人が会社を去ることになって、申し訳ないと思わないんですか」
もちろん、2割減るといっても、フジテレビが引きとるわけなので、仕事がまったくなくなるわけではない。
とはいえ、ラジオ会社に勤めている人というのは、ラジオが好きで好きでたまらないマニアのような人たちなのだ。すでに中高年になったそんなマニアたちが、技術も生かせず、人脈もないテレビ会社に行って何ができるというのだろうか。
ところが、ホリエモンは一言。
「全然思わないね」
この答えには愕然とするとともに、さもありなんと思った。人の痛みや苦しみに対して思いやる心がない――ホリエモンはそういう人間なのである。
だが、これは単なる彼一人の性格で片づく問題ではない。この発想、意識こそが、市場原理を優先する「新自由主義」の本質なのだ。
http://nikkeibp.jp/sj2005/column/o/21/02.html
市場原理を優先する新自由主義が、ホリエモンを生み出した
経済学には、「合理的経済人」という考え方がある。
完全な情報が受け取れる状況のもとで、自分の経済的利益を最大にするにはどうしたらいいかを考え、それに基づいて最適の行動する人間である。
だが、これはあくまでもフィクションの世界のものである。問題を単純化して考えるために、経済学が導入した発想といってよいだろう。実際の人間には血も涙もあり、情に流されたり、うかつなヘマをしてしまうこともある。
ところが、そのフィクションであるはずの「合理的経済人」が、一人の人間となって動き出してしまった。それが、まさにホリエモンだったのだ。
では、ありえないはずのフィクションが、なぜ生身の人間として動き出してしまったのだろうか。
それは、ホリエモンとうい怪物を生み出した「生みの親」がいるからにほかならない。その生みの親こそが、「新自由主義」を信奉する現在の自民党主流派――官邸側の人間である。
いわば、ホリエモンは「新自由主義」の申し子であり、自民党主流派の思想や価値観が、具体的な形となって動き出した怪物なのである。
民主党のメール問題ですっかりかすんでしまったが、ライブドア問題は自民党の4点セットの1つとして責任が追及されるべきことに変わりはない。
だが、そこで追及されるべきなのは、武部幹事長や竹中金融庁長官がホリエモンの選挙の応援に出かけたといった些細なことではなく、自民党主流派が持つ本質的な問題点であることを忘れてはならない。
繰り返すが、ホリエモンを怪物に仕立て上げたのは自民党主流派である。ライブドア事件というのは、彼らの思想がホリエモンと通じていたことに出発点があったのだ。
その一つの証拠が、ニッポン放送株の時間外取引が問題になったときの金融庁の対応である。
前回も述べたように、あのやり口は、どう見ても証券取引法違反だ。当然、私はしかるべき捜査の手が伸びるものだと思っていたが、そうはならなかった。
なぜなら、国会での追及に対して、いち早く金融庁がホリエモン擁護の態度をとったからである。
「脱法的ではあるけれど、合法だと考える」
この判断は、金融庁とホリエモンの思想が一体であることを明らかにした明白な証拠といってよいだろう。
http://nikkeibp.jp/sj2005/column/o/21/03.html
ライブドアの再生は可能か? 結局うまいところを持っていくのはハゲタカ?
それでは、主のいなくなったライブドアはこれからどうなるのか。
時々刻々と事態は変化しており、予測をするのは難しいところだが、考えられるシナリオは次の2つだろう。
1つは「外資への切り売り」、もう1つは「ブランドのある企業のもとでの一体再生」である。
関係者にとっては、後者のほうがハッピーであることは言うまでもない。企業価値は棄損せず、従業員にとっても好ましい。
だが、いまのライブドアを買い取る企業があるかが最大の問題である。
フジテレビが買収するという説もあったが、それには困難がともなうだろう。そもそも、ニッポン放送乗っ取り事件によって1470億円も引きずり出されてから日は浅く、ライブドアに反感を持っている社員も多いはずだ。
もちろん、ライブドアの時価総額が急落したいまとなっては、それよりもはるかに少ない金額でライブドアを買収することは可能ではある。だが、フジテレビの社内に、それだけの人的余力があるとは思えない。
テレビ番組作成やスポンサー探しの能力に優れている人はいくらでもいるだろうが、ライブドアほどに大きくなった企業を買収するならば、財務のプロや経営センスを持つ人が何人も必要となる。無理をして買収しても、維持・管理は難しいだろう。
楽天が買収するという噂も流れたが、ライブドアと楽天とでは重複する業務分野が多く、買収してもメリットはあまりない。
現在では、かつてM&Aで買収した企業が中心になって、MBO(マネジメント・バイアウト)を持ちかけているという話が出ている。MBOはM&Aの一種で、企業の経営陣が自社株を買い取って、経営権を取得するものだ。
しかし、日本の企業の経営陣というのは、一部のオーナー企業を除いて、サラリーマン社長を中心とした体制が一般的である。そういった体制のもとで、経営者が会社を買うだけの資金があるとは思えない。
結局、MBOをもちかけても、その資金調達をする先はハゲタカファンドになってしまう。
さきほど私は、ライブドア再生には2つのシナリオがあると述べたが、こう考えていくと、どちらのシナリオをとったとしても、最終的にはハゲタカのいいようになってしまう可能性が高いのである。
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ライブドア事件の原点はここにあった!〜ホリエモンとの会話でわかったこと〜/森永卓郎
http://www.asyura2.com/0601/livedoor1/msg/501.html
投稿者 white 日時 2006 年 3 月 03 日 23:22:10: QYBiAyr6jr5Ac
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