★阿修羅♪ > 雑談専用17 > 122.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 方向性を考えないと身の破滅でしょう。 投稿者 考察者K 日時 2006 年 3 月 07 日 22:40:27)
Kさんの指摘は正論です。
確かにその「方向性」が間違っているし、間違っていることの必然的結果、現象が最近では少々のことでは驚かなくなってしまったほど事故や事件の多さでしょう。
こういう事故や事件を減らそうとすれば枝葉末節的、その場しのぎの対策などほとんど無意味であることは間違いがない。
で、その「方向性が間違っている」ことですが、国家をカジ取りしている政治家や官僚が力不足とか無知無能だからでしょうか?もし無知無能、不適者であるとすれば、何よりもまず「人間には正しい方向にカジ取りすることがそもそも可能なのか?」を考えてみるとよい。
歴史が示すとおり多くの知者賢者が現れてはいるけれど、平和な世界などほんの一時の蜃気楼のようなものに過ぎず願望であり夢であり決して叶うことのない夢なのかもしれない。つまり「人間の限界」がそこにあるという考え方。
評論家のように傍から眺めていて良いとか悪いとか指摘することができる人は多く居る、人の振りはすぐ分かるから。でも鋭い指摘ができる人であっても、そういう有能な評論家が政治の世界の最善手を指し続けられるかといえばやはり悪手を指してしまうでしょう。スポーツの世界でも薀蓄に長けている人は数多居る、しかし「じゃープレーしてご覧!」とやらせてみればほとんどできやしない人ばかり。
だとすれば、結局、人間そのものが不完全の欠陥商品なわけで、欠陥故の結果が歴史を作っているだけ。こう考えると夢も希望もないですね。
100年以上前に孤高の人だったニーチェなど、人間というものの限界を知りすぎ、あきれ果て、脱力し究極のニヒリストになってしまった。その彼が考えたのが「超人」なわけで、新しい価値そのものを創造できるような「人を超えた存在」でなければどうしようもない・・などと考えただろうと勝手に私なんか解釈しています。つまり「賢人」などでは力不足で無能に等しい。秀才でも駄目、だから東大の法学部卒だろうが当然駄目。ところが彼らは自分は賢さでは突出していると錯覚しているから「最善手に程遠い」ということすら気が付もしない。人間というものはどうしようもないくらい愚かで最善手と思っても欠陥だらけの悪手に過ぎないということを誰もが認識する必要がある。
政治家や官僚自身が「人間とは大馬鹿で、その中の愚者と賢者の差などは大馬鹿の範疇のほんのわずかの差に過ぎない」という認識を持たなければならない。それができれば少しはマシな世の中になりそうだ。だけど残念なことに自分が大馬鹿なのだという認識を持っている政治家や官僚など皆無に等しい。