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(回答先: Re: 少し質問していいですか? 投稿者 空也 日時 2006 年 10 月 09 日 13:54:35)
「レビ族」と「イスラエルの人々」の違いについて、『出エジプト記の秘密』( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/456203498X/asyuracom-22 )に次のような記述があります。
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p.71
アメン(多神教)の信徒になったエジプト人たちは、ファラオ・アクエンアテン(一神教を取り入れたファラオ)の痕跡を熱心に消しさったが、考古学者たちがのちに、この王の歴史の大部分を再構成する妨げにはならなかった。彫刻、氏名、詩編、祈祷文、家族的情景、残存物や、あらゆる種類の品物が再発見され・・た。
それにしても、エジプトにはユダヤ人の痕跡はまったくのこっていない。
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・・アケトアテン(アクエンアテンのときの首都)には、主として神官と、かれらの家族と、彼らの奴隷たちと同時に、すべての労働者と農民たちがいた。遊牧民と共通点をもっていた住民たちは、この都市をさったことで、はるかのちに「ユダヤ人」とよばれるようになったのである。
p.114
「エジプト人は・・イスラエルの人々を酷使し」(出エジプト記1.13)
教父たちの注釈のついた聖書のこの節は、ファラオがヤコブの第3子であるレビの部族を、エジプトの奴隷制度からはずれていたことを教えてくれる。神官と貴族と、その家族からなるレビ族は、エジプト王が強制する隷属状態から除外されていたのであろう。・・
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ラシの注釈も、同じように明白である。
「ミドラッシュ(注釈)はまた、モーセの属するレビ族がファラオの奴隷になったことがないといっている」
口承伝承に由来するこうした説明は、聖書の脱出した住民たちのなかに、レビ族の神官がいたことににふれている。かれらはアクエンアテンの時代には、エジプトの貴族と聖職者の代表にしかなれなかった。・・
p.117
自分自身が奴隷を持っていたファラオの奉仕者(つまり資産家)は、貴族か神官しかいなかった。エジプトのほと外にかれらについていった「Erve-rav」は「大勢の従業員」を形成した。
アケトアテン(地名)の神官だったレビ族は、奴隷でなかっただけでなく、この首都の特権的な人たちだった。・・
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・・聖書はエジプトの民衆(かれらはレンガをつくるために全エジプトに分散していた)か、エジプトからでた一神教の民衆をさすために「イスラエルの子ら」という表現を使ったように思われる。