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(回答先: 「600万人」神話は第2次大戦前から筋書きが決まっていたのか? 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 9 月 09 日 20:01:58)
田中宇さんの分析を紹介しておきます(”ネオコンの台頭”とともにホロコースト神話が充実していった?のではないのか。個人的に重要だと思える文章を転載しとおきます)
http://tanakanews.com/f1220holocaust.htm
▼ホロコーストは政治的に利用されてきたのではないか
ホロコーストの事実性を分析することは禁じられているので、私はこれを分析しないでおく。だが、禁止範囲の外側にも、ホロコーストに関係した分析すべきことはいくつもある。その最大のものは、ホロコーストを歴史的事実と認めた上で出されている「ホロコーストは政治的に利用されてきたのではないか」という疑問である。
この問題を提起した人として著名なのは、アメリカのシカゴ大学教授の歴史学者ピーター・ノビック(Peter Novick)である。彼はシカゴ大学にユダヤ研究コースを設立した権威あるユダヤ人学者で、1999年に「The Holocaust in American Life」(アメリカ社会におけるホロコースト)という本を出版した。同書は、アメリカのユダヤ系社会でホロコーストが喧伝されるようになったのは1970年代からで、それはイスラエル支持を強化するための政治戦略だったと分析している。
戦後の最初の20年間(1945−65年)、アメリカのユダヤ人たちは、ホロコーストについてほとんど語ろうとしていなかった。その理由の一つは、戦後すぐに冷戦が始まり、アメリカの敵はドイツからソ連に代わり、ドイツ(西独)はアメリカの同盟国になったので、ドイツの戦争犯罪を追及することが控えられたからだった。
当時のユダヤ社会には、被害者意識を持ち続けることは後ろ向きな態度であり良くないと考える風潮もあった。リベラル主義の考え方を背景に、ユダヤ人だけの被害を考えるのではなく、抑圧されているすべての民族のことを考えるべきだという普遍的な人権主義の方が重視されていた。
http://www.fpp.co.uk/Auschwitz/Novick/Michiko.html
1950年代末に米中西部の大都市近郊に住むユダヤ系アメリカ人を対象に行われた世論調査によると「良いユダヤ人であるためにあなたが重視することは何ですか」という質問に対し「恵まれない人々への援助」と答えた人が58%だったのに比べて「イスラエルへの支持」と答えた人は21%しかいなかった。1970年代より前には、ユダヤ系アメリカ人は大してイスラエルを支持していなかった
http://www.wsws.org/articles/2000/jun2000/nov-j29.shtml
状況が大きく変わったのは1967年と73年の中東戦争からで、アラブ諸国と戦うイスラエルのもとに欧米のユダヤ人を結束させるために、ホロコーストの被害が喧伝されるようになった。「イスラエルが負けたら再びホロコーストが起きる。ユダヤ人は全員イスラエルを支援すべきだ」「ホロコーストの再来をふせぐためイスラエル国家の強化が不可欠で、そのためにパレスチナ人が難民になることなど小さいことである」といった理屈だった。
ホロコーストが起きた背景には、欧州のキリスト教徒の反ユダヤ観(キリストを殺したのはユダヤ人だという視点)があったとする考え方も広まり、ホロコーストを防げなかった欧米諸国は罪滅ぼしのためにイスラエルを支援する義務があるという主張が出てきた。
1940年代末、ニューヨークの著名なユダヤ人たちが金を出し合ってユダヤ人迫害を記念する石碑を作ろうとした。だが、アメリカユダヤ協会(AJC)、名誉毀損防止組合(ADL)など、今ではホロコーストを非常に重視しているユダヤ人組織の多くが、当時は「そんなものはユダヤ人が弱いということを物語るものなので、作らない方が良い」と反対していた
http://www.thenation.com/doc/19990712/wiener
「アンネの日記」は1955年に演劇化され、59年には映画化されたが、いずれも苦境の中で前向きに生きる普遍的な人間性に焦点を当てており「ユダヤ人迫害」の物語として描かれていたわけではなかった。演劇でも映画でも、アンネ・フランクは「迫害されてきたのは私たちだけじゃない。ある時はある民族が、別の時には違う民族が迫害されている」という普遍的な人権問題を象徴するせりふを発しており、当時のユダヤ系社会が目指していた理想が何だったかを物語っている。
ところが、普遍的人権よりホロコースト再発防止の方がずっと重要なのだという意識がユダヤ系社会に広がった後の1980年代には「アンネの日記」の演劇や映画はユダヤ系の評者に酷評されるようになり、やがて「普遍的な人権問題だけに結びつけられるのなら、アンネの日記が存在していること自体に意味がない。戦災で焼失していた方がましだった」とまで言われるようになった。
http://www.thenation.com/doc/19990712/wiener
▼ネオコンにつながる話
ホロコーストがイスラエルを支援するための理論として喧伝され始めたのが1970年代だったということは、今起きているアメリカの政治闘争そのものにつながる話である。アメリカのユダヤ人の間で、イスラエルを支持するシオニズム運動が熱烈に始まり、多くのユダヤ系アメリカ人がシオニストとなってイスラエルのパレスチナ占領地内に移住して「入植運動」を開始し、右派政党リクードが結成されたのが1970年代である。
アメリカのシオニストの中に、ベトナム反戦運動で打撃を受けていた軍事産業の再生戦略に貢献することで、米政界の中枢に入っていこうとする動きが起きたのも1970年代である。この動きをしたのはリチャード・パールら、今では「ネオコン」と呼ばれる人々である。
http://tanakanews.com/d1214neocon.htm
彼らの戦略は功を奏し、1981年に就任したレーガン政権に入り込み、82年には、イスラエルの近くに米軍を長期駐留させることを暗に目指したレバノン侵攻を起こした。その後、ネオコンはいったん政権中枢から排除されたが、2001年のブッシュ政権で再び中枢に入り、イラク侵攻を実現している。
このように見ていくと、1970年代以降のシオニズム運動にとって「ホロコーストで600万人のユダヤ人が抹殺された」ということの事実性が非常に重要であることが見えてくる。ホロコーストが持つ衝撃が、欧米のユダヤ系の人々をイスラエル支持の方向に動かし、キリスト教徒が支配する欧米諸国の国家的意志決定にも影響を与えてきたからだ。
イスラエルは、石油などの天然資源もない狭い国であり、アラブ人を追い出して作った国なので周囲は敵ばかりで、頼れるものが少ない。そんな中でシオニストは、ユダヤ人の伝統的な特技である「知恵」「情報力」を頼りに、世界最強国アメリカに食い込み、親イスラエル的な政策を採らせてきた。その際の「知恵」の中に、イラクが大量破壊兵器を持っていると人々に思わせたり、軍事産業のためにレーガン政権時代にソ連の脅威を煽ったりといった、ネオコンの情報戦略が含まれている。
http://tanakanews.com/d1219neocon.htm