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(回答先: 科学的調査や歴史的事実より涙の体験談 ホロコーストを信じる理由 投稿者 東京音頭 日時 2006 年 8 月 09 日 10:17:47)
ユダヤ人は神話を作り、キリスト教徒は神話を信じる、という関係がなり立っているのではないかな?
タルムードの発想は、事実であるか否か、ではなく、宗教的メリットを有するか否か、が重要であるという発想のようです。宗教的メリットを有する幻は、そのメリットがない事実よりも重要である、という発想のようです。
(さらに極言すれば、宗教的デメリットを有する事実を語るものは殺されなければならない、という発想に繋がります)。
キリスト教というのは、そのようなユダヤ人(エゼギエル〜キリストおよび初期キリスト教徒)が作った神話を信じることが自らの信仰の内実なのですから、ユダヤ人が作った神話は信じざるをえないわけです。ユダヤ人が作った神話は、キリスト教徒にとっても宗教的意義がある神話となるのでしょう。(というか、ユダヤ人たちは、キリスト教徒にとっての宗教的意味も考えながら、神話を作りだしているのだろう)。
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『タルムード入門』p.123(Aコーヘン、教文館)
イスラエルの教師たちは、ギリシア、ローマの思想家たちのように哲学的思弁にはさしたる興味をいだかなかった。・・
むしろ、以下の警告からも察せられるように、そのような傾向にははっきりと水をかけようとしたようである−−「以下の4つのことについて思索する者はこの世に生まれて来なかったほうがましであった−−すなわち、上なるもの、下なるもの、先なるもの、後なるもの」(Mハギガ2.1)・・
このような哲学的思弁に対する反対の論拠はふたつあった。ひとつは、そのような思弁は宗教的信仰に対する脅威であ(る)・・
このような研究が非難されたいまひとつの理由は、ラビたちは現世の問題だけで手いっぱいで、形而上的学説の考察はもっと実際的な、重要性をもった問題から注意をそらせるのではないか、と危惧したという事実に求めるべきであろう。「肝要なのは、研究ではなく、実践である」(Mアヴォート1.17)というのが彼らの根本原理であった。