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(回答先: 資料】理由なき殺人―ホロコースト 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 6 月 07 日 20:53:25)
Kotetuさん、あなたはご自身どう判断されるわけですか?
長い文章ですが、どうか最後までお読みください。
●最初にお断りしておきますが、私は「ホロコーストを肯定している」あるいは「否定していない」という理由だけで一人の人物の発言を拒絶する人間ではありません。これは私の今までの投稿をご覧いただければお分かりになることです。
例えば、現代世界で私が最も尊敬している人物の一人であるイズラエル・シャミールにしても、第2次大戦以降の中東と世界の中で強力に人間を呪縛する「シオニストの神話」として機能していくホロコーストに対しては、断固として拒否していますが、しかし「歴史的なできごと」としては決して否定してはおらず(積極的な発言もしていないのですが)、その「神話」としての呪縛力を取り去らない限り客観的な歴史として調査し人類共通の教訓として生かすことは不可能だ、と考えている人です。私は、いま現在は否定・肯定のどちらであろうと、このような姿勢を持つことのできる人を尊敬します。
オタワ大学のミシェル・チョスドフスキー教授にしても全く同様の姿勢といえるでしょう。彼自身はホロコーストに対しては一言も発現はしませんが、おそらく否定はしていないはずです。(出来ない立場にいることは明らかですが。)しかし特に「ホロコースト犠牲者の数」のデタラメさを告発する文章を自分が運営するサイトに載せたため、「否定論者」として告発されています。
ジョン・サック、ヘンリー・マコウ、ナエイム・ギラディ、レニ・ブレンナーなどの人々は、はっきりと「あった派」です。それでも私はこの人たちの研究や発言を拒否することはなく、むしろそのシオニズムとシオニストの横暴に対する真摯な研究とほとんど命がけの追及、勇気ある言論活動に対しては十分に尊敬を込めて文章を引用しているつもりです。(その肯定が視野の限界を作っているのではないか、という指摘はしたことがありますが。)
何よりも私が大切にしているのは、自分が生きているいま現在に起こっていることに、あるいは自ら体験したことに対して、どのように向かい合っているのか、という点です。
例えばジョン・サックは第2次大戦終了後に起こったユダヤ人によるドイツ人大量虐殺の事実に触れ、ナチ同様の残虐さをユダヤ人が発揮したことにショックを受け、これを調査して「目には目を」という本として発表しようとします。ところがシオニストの暴力団によってものすごい圧力をかけられ出版が差し押さえられます。この経験からサックはドイツ人だけではなくユダヤ人を含むあらゆる人間が持つ残虐性と嘘つきの傾向に気が付くのですが、「正史」信奉者から発言を封じられます。なぜでしょうか? (なお彼は、自分と同じユダヤ人から受けたこの仕打ちを、「修正論者」を前に告発しています。)
(参照)
http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/197.html
シオニストによる言論封殺の一例:ジョン・サック「目には目を」に対する『焚書坑儒』
ギラディにしても、自らの体験を通して、どれほど巨大な悪の力(シオニズム)が虚偽と暴力で世界を動かし支配しているのか、を全力でそれこそ命がけで告発しています。彼ももちろんホロコーストは肯定しています。しかしいま取り上げた人たちは「自虐的ユダヤ人(self-hate Jews)」としてシオニストからパージされています。なぜでしょうか?
わたしはその理由を、いま目の前にある事実に対して、「おかしなものはおかしい」と感じ「おかしいじゃないか」と声をあげる、その感性こそ、シオニストのような虚構で世界を縛りつけ支配しようとする連中の最も恐れるものだからだ、と考えます。私はそのような感性を持つ人であれば、その人の発言や文章は最大限に尊重します。
●さて、先日、私が「提供人D」という投稿者に対して厳しい態度をとったのは、この人物が「ホロコーストを肯定しているから」という理由からではなく、むしろ、『自分の正体を隠し物陰に隠れていきなり石を投げつけスッと逃げ去る』ような卑劣なマネをしたからです。自分が苦労して集めた情報から自分の脳ミソで考え自分の言葉でものを語るような人物ではなく、他人の言葉を「武器」にして相手に投げつけ、自分は姿を隠したままで逃げていく、これにはKotetuさんご自身も、『提供人Dさん自身のコメントをするべきでは?』とおっしゃっていたはずです。
ホロコーストに関して私が申しあげたいことは、まず「犠牲者の数」についてです。Kotetuさんは以前のご投稿で「600万人が400万人になり150万人になるのは、あまり意味の無いことではないか」という発言をしておられました。私はこれに対してはそのときには何も申しませんでしたが、次の提供人Dの投稿でブチキレてしまいました。
欧州では「ホロコースト」は今日の問題です。現実の問題、現実の政治の問題です。お解りでしょうか? 過去の問題ではありません。またモラルの問題でもありません。それに関する発言が刑法の対象、言論弾圧の対象となる問題です。牢屋の外で同じ意見ばかりをそろえる、そのような現実のファシズム社会の問題なのです。お解りでしょうか? 「虐殺には変わりない」といえるような問題ではないのです。お解りでしょうか? 「600万人」が「150万人」になる、ということは、その欧州の現実である異端審問、魔女狩りに関わる問題なのです。お解りでしょうか?
そのような法律がなくダイレクトに反応してくるシオニスト団体が存在しない日本だからこそ「600万人が150万人になることはあまり意味が無い」と言っていることができるのです。はっきり言わせていただくなら、これはあまりにも世界の現実をご存じない(知識としては持っていても実感の無い)ご発言のように思います。
だから私は提供人Dに対して「何が言いたいのか。ユダヤ人犠牲者が合計で300万人だったということか。それとも500万人がアウシュヴィッツ以外で殺されたと言いたいのか。」と問い詰めたわけです。(絶対に答えられないことは知っていますが。だからこの問いかけからは逃げるしかないでしょう。自分が嘘つきの仲間であることがばれるのが怖いからです。)
「600万人でなければ刑務所行き」というファシズムの現実を作っているのがシオニストとそれに追随する各国政府の者たちです。欧米では、事実が何か、では無いのです。モラルの問題でも無いのです。
この現実を(私の目の前にはそれがあるのですが)どのようにお感じなのか、「おかしなものはおかしい」と感じ「おかしいじゃないか」と声をあげることができるのか、という問題なのです。
●次に、9・11の追及でもそうですが、ある「論理」の正しさは、「それを肯定する証拠や証言がある」ということだけではなく、「それを否定する証拠や証言が無い」ことがそろって、初めて証明できるものです。9・11の場合には、物証は消し去られあるいは公開されていません。しかし物証の次に正確だと判断される映像によって、「それを否定する証拠」だらけであることが明白なのです。だから私は絶対の確信を持って「公式見解」を否定しているのです。これで「公式見解」を押し通すなら、あとは強権発動以外に道は残されていないわけで、先日のAMLのmsqがいみじくもわめいたように、「言論以外の手段」を使う以外には、虚構を守る道は存在しないのです。
否定にせよ肯定にせよ、根拠とすべきものは客観的に裏付けられるものでなければなりません。偽造や捏造の可能性を一切排除されたものでなければなりません。まして憶測や推測を根拠とするなど、論外でしょう。あの提供人Dがいみじくも口(キーボード?)をすべらした『・・・ではないかと。』これがホロコースト肯定派の基本的な態度だ、と私は観察しています。
さて、「否定する証拠や証言」がどれだけありますか? 上の方で木村愛二さんがお取り上げになったロジェ・ガロディ著『偽イスラエル政治神話』にある「否定する証拠や証言」がすべて虚偽であると証明されたのでしょうか。
幸いにして残されている物証の「ガス室」自体の検証は行われたのでしょうか。唯一の分析報告はロイヒター報告だと理解していますが、これは「否定」です。最大の物証を科学的に分析した結果が「否定」です。それ以外には、科学的調査は為されていないはずです。なぜでしょうか?
そして1945年にソ連とポーランド当局によって「再現」されたガス室が1942〜43年当時の忠実な再現でないことも、アウシュヴィッツの所長自らが認めています。9・11の「パンケーキ崩壊」のデタラメとどのように異なるのでしょうか。
そのうえで、「否定する証拠や証言」を取り上げる者には「言論以外の手段」が待っているのです。いいですか?
「おかしなものはおかしい」と感じて「おかしい」と発言すれば刑務所行きです。「言論以外の手段」が待っているのです。いいですか? そしてこのような現実に対して「おかしい」と発言すればつるし上げです。「言論以外の手段」が待っているのです。この現実をどのようにお感じでしょうか。
●なお、Kotetuさんが引用された西尾幹二氏の文章は、私は、非常に申し訳ないのですが「論外」と思います。この西尾氏のような、自ら深く追求もしない思い込みや他人の受け売りだけで情緒的な「民族主義」を並べた挙句に、コロリとシオニストにだまされて「つくる会」から放り出される程度の情け無い日本「右翼」の見解など、一箇所一箇所を採り上げて申し上げる気にもなりません。以上に私が述べたような問題意識など、こんな男にはカケラも無いのです。
●以上、お気に触るような部分もあったかもしれません。しかし私は、Kotetuさんが今現在の問題である9・11に対して誠実に追及しておられることを知っています。提供人Dのような、物陰から石を投げつけて一目散に逃げていくような人であるはずがない。現実に対する問題意識を持ち、対話の姿勢を持つ人とは、私はいくつかの見解の相違はともかくとして、情報や見解の出し合い、ぶつけ合いは続けていきたいと望んでいます。ぜひ、Kotetuさんご自身の、ホロコーストに対する見解をお聞かせください。