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■「異なる悲劇 日本とドイツ」 西尾幹二 文春文庫 1997年 P22〜23
ヒトラーは外国に侵略し、そこを支配する統治目的からみてそうする必要がなにもなく、その口実すらないときでも、おびただしい数の人間を殺害しているのである。これがどうしても理解できない最も深い謎である。大量殺戮は実際上の観点からみても彼の軍事的利益に反していた。 毎日のように全ヨーロッパから犠牲者を集め、強制収容所へ送りこむ大量輸送は、軍事物資や兵員を補給する車輛をそれだけ奪い、ことに戦争末期には相当な負担を強いたはずである。しかし末期になればなるほどこの非軍事的努力のほうが加速された。アウシュビッツにガス室が設営されたのは一九四二年以降である。
大量殺戮はヒトラーの軍事的利益に反しただけでなく、政治的利益にも反している。連合国側は通例の戦争犯罪とは異なる犯罪が巨大規模で行われている情報を得て以来、外交交渉による平和的妥結をあきらめた。とことん勝利し、ヒトラーを裁判にかけるのでなければ、決著が図れない。このとき戦争目的が変わったのである。連合国側は正義の戦争の大儀名分をわがものにした。もしヒトラーの軍隊が、ソヴィエトを共産主義から解放するという明白な目的に従って行動し、それ以外の不可解な犯罪を犯していないとしたら、ソヴィエトを除く連合国側は、判断に苦慮し、ヒトラーとなんらかの取引きをしたかもしれない。否、ソヴィエトの領内からさえドイツ軍を解放軍として歓迎する動きが出てきたかもしれない。ヒトラーはある点では政治的嗅覚の鋭い天才である。そんなことが分からなかったはずはない。しかし、政治的計算よりも、殺人のよろこびのほうが彼を圧倒した。理由なき殺人―彼にはむろん理由があるが―への果てしない誘惑に彼は屈した。
以上のとおり、ナチスの犯罪は通例の戦争犯罪とは別物であったと理解されなくては、その本質を見誤ることになろう。
http://page.freett.com/souther/sourceetc1.html#2005041602