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(回答先: Re: 「蘇民将来」の御札や山伏のスタイルが登場するのは7世紀以降。 投稿者 Sirent Tears 日時 2006 年 5 月 28 日 13:37:43)
Sirent Tearsさま、
「横レス」だなど、とんでもありません。
ご意見をありがとうございます。
丹波地方のご出身で「顔つきはどー見てもベトナム系ですが」は、非常に結構ではないでしょうか。
私にも京都府綾部市出身の恩師がありましたが、その容貌は額と頬骨高く野性味の加わった「郷ひろみ」と「何とか原人」のハイブリッドといった感じで、弥生系であるなどとは全く思えませんでしたし、高浜町の素晴らしく細かい白い砂浜を見に立ち寄った時に会った町の人々にも南方的な顔立ちは多く見られたように思います。
丹後の海部氏が日本最古と公認された、確か4000年?に遡る家系図を保存する海人族系の家柄であるように、まずは黒潮に乗っての到来が最初であったとするのが自然であろう古代海人族も、その後は列島を伝って日本海側にも移動、移住し、中国大陸とも往来していたと思われ、日本海側への民族流入は大陸・半島系が最多であったとしても、古代海人族系のそれがそのすぐ下くらいに続いていても不思議はないと思います。
何しろ、日本への流入は奈良時代からでも数千年前であり得るので、彼らが最初に漂着した太平洋沿岸や日向灘〜瀬戸内海に留まってよそを見なかったと考える方が不自然な気がします。
船が操れるなら、一旦落ち着いた後は、どこまでも行けるところまで行ってより住み良い天地を求めて当然であったと思います。
丹波というと、また田中宇の「マンガン・ぱらだいす」も想起されます。
八切氏などはサンカ社会の内部事情に通じた方であるだけに、山と瀬降りの民であるサンカと、やや都市生活者に近いその他の被差別的待遇を受けて来られた古代の被迫害者、政争の敗者の後裔である方々とのはっきりした色分けがお出来になったようですが、あたくしなどはまだまだ勉強が足りません。
Sirent Tearsさまのような方に、地域板で丹波の民話や地元の重要人物についての伝承、伝統儀礼についての情報をいただければとても有益なのではないかと思います。
その他、おっしゃる事(技術指導者の立場で渡来した人々や、迫害や亡国の末に漂着した人々の存在)には逐一納得いたしております。
我が国のサンカや被差別者の方々のように各々の民族差を守りながらも共通の固い掟を共に守り、尊重し合いながらの何千年を生き続けている方々(注)は、同じ何千年でも、世界のありとあらゆる地域に明確に支配の意図を持って進出する世界寡頭勢力とは、その存在の本質が全く異なるにもかかわらず、彼らが日本の支配層への抵抗のために、そのようにあまりにも異質な者たちとの協力関係に陥らざるを得なかったことに、一日本人として大変口惜しい思いでおります。
掟が絶対の社会であるだけに、集団内に違った意見を持った人々がいても統制を守らなければならなかったのでしょうし、今後も彼らのトップに立つ人々の見識が改まらないことにはその点の変化はあり得ないことと想像しております。
部落解放運動の一環としての学齢の児童・生徒への教育の中でも、支配層との取引で、真の歴史のキモである「彼らこそが日本の原住民であり、体制側は実はずっと後代に流入して彼らの弾圧に回った勢力」という事実の周知が許されないためなのでしょうが、決して歴史背景の真の理解に生徒たちを導けない内容に留まった結果、無意味な差別がいつまでもなくならないことになっています。(むしろ、日本の平等教育というものは、意図的に決してその目的が達成され得ないように作られていると言えるでしょう。)
残念なことです。
最後になりましたが、我々の多くがモンゴロイドの遺伝子を所有していることには違いないとは思いますが、官製かその助成で行われた研究であればサンプルに作為が加えられていても不思議はない、という疑念はまだ持っております。
高松塚古墳にしても、古代バビロニア系の有力者のものであったという見解(八切氏もそんなことを書いておられますが)もあり得る遺跡でありながら、故意にも近いかと思われるような形で壁画の剥落や損傷が放置されているくらいですから(http://www.kitombo.com/gimon/1003.html)、我が国に支配層にとっては多分に不都合な史実や科学的データはまだまだ多数埋もれていることと思っております。
やや取りとめなくなりましたが。
ではまた、ごきげんよう
(注)
八切氏によれば、上の投稿で示したように少なくとも5系統に別れるサンカですが、それぞれの系統が他と混血することはなく、各系統の純血が守られ続けた一方で、契丹系の参入を期に、サンカ社会の中では最も進歩的であった契丹系が全体の統率を担うことになったとのこと。
それでいて彼らの中の帰化人系統の人々も、その長い歴史の中で、結局は縄文文化的=日本原住民的な穏やかなメンタリティーに馴化されていったという様相が見られるようです。
本来の彼らの文化には、家族(血族)の強い結びつきや隣人との相互尊重など、複数の民族の平和な共存の秘訣がすべて含まれているだけに、あたくし個人的には、彼らを利用しに近づいておきながら結局はご多分に漏れず、今彼らを破壊に導こうとしている「かの勢力」がつくづく疎んじられてなりません。
難しいことでしょうが、彼らの覚醒を期待し続けたいと思います。