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(回答先: お奨め、八切止夫史観を通した日本史の見つめ直し 投稿者 ぷち熟女 日時 2006 年 5 月 27 日 21:34:17)
横レス失礼します。
先に結論から述べますと、血縁関係とする日ユ同祖論は誤りでしょう。遺伝子学的には、図表のように
「日本人の先祖はバイカル湖付近から南下した」
と、モンゴロイド系である事が証明されていますね。
しかし以前TBS系で南米ボリビアの3000年前の古代遺跡から、古代中国、シュメール、日本の弥生時代とよく似た遺物が発掘された、という番組が放送されたいましたが、その頃からすでに人類は世界規模で移動と交易を行っていた。
当然、古代イスラエル王国のタルシシュ船のような交易船が日本に来ていてもおかしくない。事実、大阪湾の海底から3000年前の古代エジプト様式の船が発掘されています。
北方のステップルート、南回りインド洋ルート、中央シルクロードのどれか、又は全てのルートを通って、聖書の知識や中近東地域を発祥とする科学技術を持った人々が日本に来ていたのは間違いないと思います。
それも何回かに分けて。
乱暴な意見かもしれませんが、
「明治維新に日本が欧米から専門家を招いて最新知識・技術を学んだのと同じ状況が古代日本でもあった」のではないでしょうか。
神社建築や超巨大古墳、大仏の建設技術も現代からみれば「古代文化」ですが、当時の人達にとっては「最新の科学技術」だったはず。
明治政府がそうだったように、古代の天皇を含む支配者達は国力の充実と拡大の為に大陸から技術者・知識人を招いた。
その技術指導を行ったのが4世紀においては秦氏(原始キリスト教徒?)であり、7世紀では仏教徒・?教徒のペルシャ人やインド人仏教僧+インド在住のユダヤ教徒だった。
日本にやって来た彼等にも、彼等なりの事情があったでしょう。
アレクサンダーの東方遠征により故郷を追われたスキタイ人やペルシャ人。
ローマ軍によるエルサレム鎮圧時に脱出し東へ向かった原始キリスト教のエルサレム教団。
イスラム教勢力がアジアに拡大した際に自分達の信仰を守る為に新天地を求めて東へ移動した、シルクロード地域の仏教・?教・ユダヤ教徒たち。
彼等にとっての安住の地が日本であり、彼等を受け入れた我々の先祖とは「先生と生徒」の関係だった。
そう考えています。
件名に挙げた「蘇民将来」や山伏スタイルの由来については、参考資料として
「シルクロード渡来人が建国した日本」(現代書館)
「祇園祭の大いなる秘密」(批評社) 両著共に久慈力(くじ つとむ)著
があります。すでにご存知かもしれませんが、ご一読下さい。
私は京都の丹波出身ですが、「日本・ユダヤ封印の古代史」等で指摘されている慣習が確かに地元に存在しています。
(顔つきはどー見てもベトナム系ですが)
父母・祖父母の時代とは生活環境も変わり(農林業→サラリーマンへ)昔からの伝統義礼や祭礼を維持するのは大変ですが、タイムカプセルを未来に伝えるように、なんとか守って行きたいと願っております。
ただ、こうした伝統文化や歴史上の事実が政治や謀略の道具に利用され、時には捏造され、捻じ曲げられてしまうのには困ったものですね。