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(回答先: 日本への原爆投下は、1944年9月18日、ルーズベルトの私邸でジェノサイド(民族皆殺し)により決定された。 投稿者 TORA 日時 2006 年 5 月 24 日 15:19:22)
クロード・R・イーザリーの懺悔
元陸軍少佐クロード・R・イーザリーは、爆撃機エノラ・ゲイ号に原爆投下を命令した機長だった。彼はアメリカに帰って「英雄」の称号を返上した。
その結果、精神病患者にされて、生涯幽閉されたが、彼の精神は健全であり続けた。知らなかったのだ、原爆がどんな無差別大量殺人兵器であるかを。
鉄格子をはめられた病院の窓から、彼は生涯、おのが罪を告発せよと訴え続け、「おのが罪」は「アメリカの罪」であることを、「広島に行って詫びたい」と願い求めた。
彼の願いは叶えられず死に至ったが、タイムスリップさせた操縦桿を引いて、広島の上空から命令を撤回している。
「原爆投下を中止せよ、さあテニアンへ帰ろう!」
爆撃機エノラ・ゲイに日本への原爆投下を命令した機長だった元陸軍少佐クロード・R・イーザリーのの精神は、生涯、アメリカの良心であり続けた。顔の半分にかげる影を彼は石で打ち、当然あって然るべき反省の心で身を刻んだ。
「当然あって然るべき反応が欠落している場合、心理学者はこれを「精神盲」あるいは「心盲」という」そうな、この「心盲患者」は日本の宮中にいたが。
彼にとっても遺憾なことは、その「心盲患者」がホワイトハウスにいたことだ。
クロード・R・イーザリーは「人間の敵」には勝てなかったが、人間として決して負けなかった。
(爆撃機エノラ・ゲイ号の機長の生涯をまとめた「ヒロシマ わが罪と罰」クロード・R・イーザリー共著)を資料に、増岡敏和「花なき薔薇の傍で」(原爆被爆者証言詩集U)の中の一篇より)