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(回答先: 週刊金曜日の実態 投稿者 コマ落としの銀次 日時 2006 年 5 月 23 日 18:22:10)
本多勝一及び『週刊金曜日』の犯罪的正体に唖然
以下は、本多勝一及び『週刊金曜日』を被告とする裁判のハイライト部分の抜粋である。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/gas-c-trial.html
平成9年(ワ)7639号 名誉毀損・損害賠償請求事件
訴状
[中略]
http://www.jca.apc.org/~altmedka/kankei.html
原告と被告・本多勝一及び『週刊金曜日』との関係
『マルコポーロ』廃刊事件以後の経過
1995年[平7]1月30日、文藝春秋は、「ナチ『ガス室』はなかった」という題名の記事を掲載した『マルコポーロ』(1995年[平7]2月号)に対する不当な言論抑圧の攻撃に屈して、同号の全面回収と、同誌廃刊の決定を発表した。
以後、原告と被告・本多勝一との関係は、前述のような本件で争われる基本問題をめぐって急変した。右のように話が中断したままの連載の申出は、事実上、破約の状態になっていたが、被告・本多勝一はまず、原告に対して一言の詫びの言葉も発していない。事態急変の真因は、被告・本多勝一と『マルコポーロ』の出版元の文藝春秋およびその社員である編集者、花田紀凱との関係にあった。
被告・本多勝一は、文藝春秋と、同社発行の『諸君』1998年[昭56]5月号に掲載された記事、「今こそ『ベトナムに平和を』」における同人への批判についての訂正と反論掲載を求めて訴訟継続中(一審、二審とも同人の敗訴、現在、最高裁に上告中)である。廃刊決定当時の『マルコポーロ』編集長、花田紀凱とは、同人が編集長だった時期の『週刊文春』1988年(昭63)12月15日号に掲載された記事、「“創作記事”で崩壊した私の家庭、朝日・本多記者に当てた痛哭の手記」に反論掲載を求め、この件については訴訟を提起せずに、文藝春秋・花田紀凱と同時に日本の裁判制度への非難を機会あるごとに綴り続けているという関係にある。
この間の事情は、複雑多岐にわたるので、のちに証拠にもとづく詳しい立証を行うが、あえて要約すれば、原告は、被告・本多勝一が、自己の文藝春秋及び花田紀凱に対する宿年の恨みを晴らすために、本件の主題を利用するという許しがたい政治的な過ちを犯していると判断した。しかし、原告は、被告・本多勝一の過ちと動揺を知りつつも、手段を尽くして反省をうながし、合わせて、前述のような『週刊金曜日』創刊の趣旨の一つ、「苛烈な論争によって問題を前進させていく」編集方針を論拠にして、反論記事の掲載を求め、結果としてまず、同誌の1995年(平7)3月17日号「論争」欄に「『マルコポーロ』“疑惑”の論争を!」を寄稿した。
以後、若干の投稿の応酬を経て、一時、誌上の議論は途絶えていたが、1996年[平8]1月18日に発表された花田紀凱の朝日新聞移籍、及び、その後に具体化された朝日新聞社発行の『ウノ!』編集長への就任を新たな契機として、議論は再燃しはじめ、『週刊金曜日』は前記の合計14回の連載記事、「『朝日』と『文春』のための世界現代史講座」を掲載するに至った。
[後略]
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