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(回答先: オトナの武部幹事長、コドモの現在の立川「反戦」テント村〜その2〜 投稿者 偽の友をあばけ 日時 2006 年 8 月 06 日 00:31:47)
■■増尾由太郎『誰も書かなかった ケンカのしかた』(三一書房)
ここでいう「ケンカ」は、強い(強くなる)必要のないものだ。だから、
(たとえば「けんかエレジー」とはちがって)、鍛え方だとかトレーニングな
んかはどこにも出てこない。
話はかわるが、集団(組織)と個人では、集団(組織)の方が強いに決まっ
てる。放っておいてみんな「自由」になるなら改革も革命もいらないわけで、
強いものだけが好き勝手するというのをルールで抑えて、他大勢にも息をつけ
るスペースを創出しようというのが要するに立憲主義的自由主義(おおざっぱ
にいって民主主義)で、だからフランス革命は王様の首をちょんぎるだけでな
く、憲法(やら人権宣言)をつくった。
今では不思議に思えるかもしれないが、1789年の人権宣言には「結社の
自由」が出てこない(91年には同業者組合や労働組合の禁止が法制化されて
いる)のは、そういう権力やら利権やらを持っていた(持ち得た)集団を一旦
壊して、ヒラ場に降りた個人から始め直すということだった(これこそ人権宣
言の前提である)。ここではじめて諸個人 対 (集権的)国家という二極構造
が、そしてその構造の下で国家権力(だけ)を憲法で抑えようという立憲主義
が成立する。
そういう個人の成立抜きにして(つまり集団を温存して)、「基本的に国家
権力だけを抑える憲法」という考えを受け入れたものだから、この国は集団
(組織)が跳梁バッコするようになってしまった。社会的権力をもルールで抑
えて、個人の自由を救うというのが落っこちている。個人の自由と集団(組
織)の自由がぶつかりあったとき、この国の裁判は多くの場合、集団(組織)
の自由の方に軍配をあげるのである。
この本は、強くない個人がケンカをする際にかなり実践的な(というのはい
ちいち「使用済み」の)ノウハウ集。ケンカ相手ごとに章立てが組まれてい
て、「悪い警察」「悪い税務署」「悪い銀行」「悪い大企業」「悪い公僕」
「悪い弁護士」「悪いマスコミ」「悪い債権者」などが、ケンカ相手である。
警察からイヤガラセを受けたり、別件逮捕されたり、節税したかったり、マン
ションの反対運動をやりたかったり、株式総会に乗り込みたかったり、オンブ
ズマンしたかったり、サラ金に追われていたり、恐い債権者が来たりしている
人にはすぐにでも役立つ。ただ強くなりたい人(偉くなりたい人)には役に立
たない。
(私のコメント)
赤軍は、公安が作った、自作自演だ!! ぐらいの暴露本が出ないと、ビラも貰う気になりませんね〜。
組織の内部告発者に関しては、アメリカも注目してるみたいですね〜。エリートになるか、はたまた転落か、運命の分かれ道ですね。思うに、不正流用ぐらいで自分の会社を売るような行為は慎むべきですね。
もっと、これを暴くことは、非常に大切だ、くらいのネタが挙がってこないもんですかね。
マネーロンダリングも預金封鎖かけるほどの悪行ですかね。
戦争(アメリカ)に税金を投げ出すのは良くて、脱税は口座封鎖ですからね〜。
警察が、出世競争、予算獲得競争をしてるところから、まず、間違ってますね。
雇用を増やし、仕事を増やし、いくぞ〜、我らのウルトラマン♪
(替え歌、引用: ウルトラマン)
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