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(回答先: 「市場万能」の小泉改革に異議 政治は国民の「安心」に責任を 【労働新聞】 投稿者 hou 日時 2006 年 1 月 14 日 19:37:51)
http://www.gpc.pref.gifu.jp/kouen/10/19990208/990208mori.htm
街づくりの先端事例の最新動向
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要約
地方の地域づくりの話と、もう一つ東京の問題で、東京都都知事選挙というのが一番の中心のテーマであります。青島都政というのはいったいどういうものだったのか、今後の東京の街づくりはどのように進められるのか、それについて書くのが私の主なテーマです。
青島都政については、選挙の過程で大変な過ちを犯した。それは青島流の書斎に座って選挙運動をしない、街頭に立たないという選挙手法が、都知事という行政のトップに就く選挙に際してとるべき戦法だったか否か、むしろそれは禁じ手であったというのが私の結論です。そのことが結局、青島知事の限界になった。
選挙の期間中、東京の都心からゴミの処分場問題で有名な日ノ出町とか檜原村とか、あるいは三多摩と言われる所まで足を棒にして、ひたすらはいつくばるようにして初めて東京都という都市にとってどういう問題を抱えているのか、これを肌で感じることができる。
行く先々で演説をして、それに対する有権者の反応を見ながら身をもって感じるわけです。それが知事という座に就いた時に、個々の政策判断をしていく上で欠かせない要件になってきます。青島氏が実際に知事になってみて、個々の東京が抱える問題というものを目の当たりにしてみて、世界都市博覧会のようなイベントをやめることは、決断できたかもしれませんが、それ以上の都政の大転換ということができなかったのは、やはり現場感覚を持たなかったことが一番大きいのではないかです。
一番のポイントは現場第一ということで、これは、これからの街づくりにとって欠かせないことです。
今後の中心市街地活性化を考える場合のひとつのポイントとして、とりわけ中心市街地空洞化問題というのがこの2年ぐらいで、大変な政策的課題になり、中央省庁がこぞって中心市街地の空洞化対策で「街づくり三法」を作り、中心市街地の活性化対策に取り組んでいる。その問題を語る時に一番過激な表現として、都市プランナーの蓑原氏は「街は要りますか、必要ですか、もう要らないんじゃない」のという問題提起をしています。「都市は要りますか」ということを聞ききながら、このままでは衰退の一途をたどってしまう、もう少しみんな積極的に自ら取り組みなさいと問題提起しているわけです。私も全国各地を歩きまわり、そういう観点から地方都市を見る時に、このままで地方都市の中心商店街は、どうなってしまうんだろうという感想はどこに行っても感じます。そうは言いながらやはり元気な中心市街地もいくつかありますし、逆に寂れているところには何とか活気を蘇らせてほしいということで、最も先端だと考えるファクツを探しています。
中心市街地、とりわけ商店街が寂れていて、空き店舗でシャッターを降ろしているお店が非常に目に付く。ショーウィンドーが並んでいるのではなく、シャッターが並んでいる中の商店街、昼間はそうでもないけれど、7時になるとほとんどの店がシャッターを閉めている。これが地方都市の商店街の現状ではないでしょうか。
例として、滋賀県の長浜市ですが、第三センターの黒壁を作って、ステンドガラスとかいろいろガラスを使った工芸品を中心に成功したと言われています。ところが、その長浜の黒壁のいくつかの店舗を除くと、長浜の商店街、目抜き通りは7時になるとほとんどのお店がシャッターを閉めています。こういうような状況をどう打開するかということが大きな課題でもあります。
もう少し極端な例をとして大分県の竹田という町があります。国道57号線という、やまなみハイウェーにつながる大分−熊本を結ぶ幹線国道沿いに、ほとんどの郊外型店舗、スーパーが立地しています。その結果、竹田の旧市内にあるお店というのは、日曜日になりますと大半の店が閉店しています。ですから食事をするにも買い物をするにも郊外の国道沿いのスーパーとかロードサイドのレストランなどが集積している場所まで行かなければいけないのです。
さまざまな中心市街地の活性化対策ということが施策化されているわけですが、問題はなぜ中心商店街が空洞化したのか、商業サイドから見る見方、都市計画の立場から見る見方などそれぞれの専門分野ごとに見る見方があまりにも異なっていて、なぜ空洞化したかということについての定説のようなものはありません。中心市街地が空洞化している都市、それは商店街だけの問題、あるいは個々の商店主だけの問題ではなくて、その地域経済そのものがある発展期を過ぎてしまい、その地域経済を支える一番根幹的な産業というものが衰退、あるいは横這い状態に差しかかってきたからです。
日本の都市の商店街というのはいくつかの形態がありまして、一番代表的なのは城下町や門前町です。それからもう一つ大きいのは、工業を背景にして発展してきた企業城下町です。それからもう一つ古い形態として農業が中心の時代の物資の集散地的な川沿いの舟運中心の物流ターミナルです。そういう機能で栄えた町は、従来の都市の経済、地域の経済そのものを支えていたものがだんだん地盤沈下していくことによって中心商店街が寂れていきました。こういう部分は、相対として見ていかないと、中心市街地空洞化の話というのはわかりにくい。
一例として、最近中心市街地の空洞化が目立つ町は茨城県日立市です。日立製作所、あるいはその関連メーカーの企業城下町です。「暗夜行路」、お酒で有名な広島県尾道市もご多分にもれず中心商店街の空洞化、空き店舗対策ということに悩んでいます。造船の町、長崎県佐世保市は、佐世保基地、佐世保重工で有名ですけれど、ここは戦後の復興の過程で、石炭が産出される鉱山の町であるのと同時に軍事基地でもあったわけで、それに伴って造船業もあったのです。さらに1950年以降の朝鮮動乱で朝鮮特需というものが起きた形の町でもあります。
それから最近、桃太郎発祥の地ということで、一所懸命商工会が売り出している、奈良県の田原本という町があります。ここは最近では桃太郎より鍵唐古古墳というのがありまして、弥生時代のいくつかの大変貴重なものが相次いであることが確認されて、そこに埋葬されている人が、どうも桃太郎そのものではないかということを一所懸命商工会がやって、1980年代前半頃の地域づくり手法で一所懸命やっているのです。桃太郎の地域づくりよりも、本当の考古学的な発掘のほうが、貴重なものが出ます。フィクションによる町づくりより、むしろ実物、史実の町づくりがこれから進もうとしている町です。東北地方では、山形新幹線が今年開業する新庄市です。最上地方の本当の物資の集散地です。従来の農業中心の経済から、工業中心の近代都市、産業都市、近代都市へと変わっていく過程で、それに支えられて作った商店街が、今非常に厳しい状況に立たされています。
それからもう一つが従来型の都市が無限に拡張する、都市に人が集まるということに対応して、それに併せて郊外にどんどん都市を拡散してきたという、日本の戦後型のどんどん郊外化していく形での都市形成です。広域岐阜都市圏は、新幹線の岐阜羽島駅が出来て県庁が郊外へ移ってきたわけですが、これが果たして良かったのかどうか。今、茨城県が県庁を昔の水戸のお城の跡から郊外へ移しています。いくつかの県都が同じ様な街づくりをやっています。首都圏、名古屋圏、すべてが大都市の場合は人口の急増している部分が、都市への人口集中を郊外のベッドタウンで吸収するという形で郊外に拡散してきました。それをいかに乱開発を押さえるかがこれまでの都市計画の課題だったわけですけれど、こういったものが現実には都心部、それぞれの都市の中心部にはほとんど手を入れない形で都市づくりが行われてきた。それを今見直すべき時期にきているのだと思います。見直してしまって、地域公団のように新しい地域活性化の施策を打ち出し、そのための体制も整えているところもあります。
これからの地域づくりを考えていく上では、大衆全部を相手にした行政、企業経営はもはや通用しにくくなったと思います。すべての人にいい顔しようという商売、行政は通用しない、ある特定の個人、または一億二千万を相手にするか、あるいはもっと世界中の人たちを相手にするか、ある程度地域をばらしても特定の客層、施策の相手を絞り込み、個を相手にした行政、ビジネスへの転換というものをきちっと図れるかどうか。これが地域づくり都市づくり、あるいは中心市街地の活性化について一番大きな課題だろうと思います。
もう一つはビジネスにしても行政にしてもそうですが、高みに立ってものを捉えるという発想を切り替える時期なのです。霞ヶ関の中央省庁なり、県庁、市役所、町村役場という行政が上から見下ろすという時代ではなくて、同じ目線で考えるのです。同時にある程度先を読むことは、それぞれの分野で必要ですけれど、それを具体的に世に問う場合には市民、あるいは消費者と同じ目線に立って考える。この発想が個々のニーズというものをとらえる上では欠かせない要件だろうと思います。
最近の成功例は、女性に人気のあるところ、女性の支持を得ているところです。それは、個のニーズに適合している所とオーバーラップします。
例えば、東京・臨海副都心のホテル日航、温泉地として有名な大分県の湯布院、環境共生の実験都市を盛んに売り物にしている長崎のハウステンボスなどです。重要なのはまず女性の視点から見るということが、今までとかく高みに立って偉そうに世の中を見ていた行政の皆さんの視点を変えるにはいい機会なのかもしれません。
2年前から全国で「安全安心街づくり女性フォーラム」という生活、身の回りから都市の安全安心というものを見直して、街づくりのあり方を考えてみようという、一種の市民運動の全国的なネットワークが設立されました。各地域の市民グループ、あるいは市民型のシンクタンクが連携して、イベントを重ねています。はじめ全国10カ所くらいで開催しましょうという話をしたんですけれど、今年度は、23カ所で開催するまで広がりました。
いま、本当に新しい、自ら身近なところからこれからの街づくりを考え出そうという市民、あるいは様々な企業の経営者が台頭しています。この人たちをいかに発見し、れぞれ別々に活動している人たち、実体としての街づくりボランティア的な市民、あるいは企業の経営者、商店主も含めて、そういった人たちがお互いに連携し、大きな全国的なネットワークというものを作り上げていくかということです。これは必ずしもある一枚岩のピラミッド型のネットワークではなくて、自分たちの関心事だけで個別テーマごとに手を携えていくという形でのネットワークだろうと思います。
これはたぶん国境も越えていく広がりもあるでしょうし、地域の中にひたすら根を下ろしていく部分もあるかと思います。
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講演録
森野でございます。今日はかなりロングランなセミナーになるか、と思います。私は全体の話の導入部のご紹介、そんなことを中心にお話をさせて頂きたいと思います。実は私の主要テーマは、地方の地域づくりと、東京の問題です。もう少し具体的にいうと、今、最もホットな東京都都知事選挙が一番の中心のテーマです。東京と地方、その両方を二股かけながら仕事をしているという立場です。とは言いながら、次の都知事に誰がなるかということだけが、実は私のテーマではなくて、私は青島都政というのはいったいどういうものだったのか、それから今後の東京の街づくりはどのように進められるのかそれについて書くのが私の主要なテーマです。
青島都政については、2月1日、中野ブロードウェイのマンションの一角で、記者会見がありまして、青島知事が「次の選挙には、出馬いたさない」という発言がありました。それについて翌日の新聞各紙、解説付きで書いてあるんですが、私なりの総括を木曜日の夕刊に掲載いたしました。結論から言いますと、青島都政というのは選挙の過程で大変な過ちを犯していた。それは青島流の書斎に座って、いわゆる選挙運動をしない、街頭に立たないという選挙手法が、参議院選挙の全国区、比例区の選挙の場合には非常に有効だったのかもしれませんが、都知事、市町村長もいいんですけれど、選挙の後、行政のトップに就く選挙に際してとるべき戦法だったか否か、むしろそれは禁じ手であったというのが私の結論です。それはこれまで4年間にわたって何度か節目ごとに、青島都政の1年、2年、折り返し地点とか、その節目ごとに書いてきたんですが、改めてそのことが結局、青島知事の限界になったということです。突然、岐阜に来て、東京都政の話をして何だろうと思われるかもしれませんが、実はこのことがこれから話す話と大変関連があるものですから、もう少しお話したいと思います。選挙の期間中、今度の選挙ですと、3月25日に告示されて、4月11日の投票まで、実質的に選挙活動ができるのは4月の10日までということになりますが、その期間中、東京の都心から、ちょっと東京都は小笠原まで抱えていますから、島まで行くのは難しいかもしれませんが、中曽根さんが昔、レーガンと囲炉裏談義をした日ノ出町とか、最近はゴミの処分場問題でも有名になっていますが、その日ノ出町とか檜原村とか、あるいは青梅市といった東京のいわゆる三多摩と言われる所まで、それを足を棒にしてというか、ひたすらはいつくばるようにして初めて東京都という都市にとってどういう問題を抱えているのか、これをそれぞれの候補者が肌で感じることができるわけです。例えば行く先々で演説をして、それに対する聴衆の、イコール有権者の反応を見ながら、東京都民は例えば、多摩地域の南北道路、要するに多摩を南北に結ぶ道路が非常に狭隘で、常に交通渋滞を引き起こしています。そういうところをいかに整備するかというようなことが非常に重点的なテーマなんですが、そういったものも、選挙期間中、実際に選挙カーに乗って走ってみれば東京の多摩の南部の方から、中央線を越えて北部の方へ行くのにいかに時間どおりいかないか。交通渋滞に巻き込まれていかないかということを身をもって感じるわけです。それが知事という座に就いた時に、個々の政策判断をしていく上で欠かせない要件になってくるのです。東京では、それと裏返しのことを青島知事はやって、実際問題として前回の選挙ですね、本人は勝つつもりがなくて出馬して、結果的に勝ってしまったという側面はあるのかもしれませんが、そういったところから実際に知事になってみて、個々の東京が抱える問題というものを目の当たりにしてみて、イベントのような、世界都市博覧会のようなイベントをやめることは、これは決断できたかもしれませんが、それ以上のいわゆるちゃぶ台をひっくり返すような都政の大転換ができなかったというのは、やはり現場感覚、これを持たなかったことが一番大きいのではないかなというのが私の総括です。
私は新しい知事が決まったところで今後の東京都政の課題は何かという、むしろ問題提起型の記事を書くのが次の仕事で、それまでしばらく東京問題については底流の動きを探っているといいますか、水面下にある話をしっかり仕込んでいると、そういう期間になろうかと思います。
いきなり東京の話で唐突な感じがしたかもしれませんが、今日お話したいことの一番のポイントはやはり現場第一ということがこれからの街づくりにとって欠かせないことだと、そのことを強調したいからにほかなりません。今日は、私の後、地域振興整備公団の小林室長、それから仙台都市総合研究機構から白川さん、それから岡山県の高梁市から土井さんがいらっしゃっています。こういう皆さんにおいでいただいたのは、いわゆる全国それぞれの地域でどんな活動をしているかということを、実際に第一線に立っておられる方のお話を聞くということが一番有効だろうというふうに考えたわけです。そこで高津副理事長から今回のことについて相談があった際に、何と言いますか、最近の最も光っている人達ということで、遠くからおいでいただいたわけです。
まず街づくりの先端事例を中心に、今後の中心市街地活性化を考える場合のひとつのポイントと言いますか、とりわけ中心市街地空洞化問題というのがこの2年ぐらいですか、大変な政策的課題にもなり、具体的には今年度、中央省庁がこぞって中心市街地の空洞化対策で「街づくり三法」というものを作り、改正した法律もありますが、それに基づいて中心市街地の活性化対策に取り組んでいるわけです。その中心市街地の問題を語る時に、いろんな言い方をする方がいます。一番過激な表現としては、このセンターが最近出版している「楽市楽座」という機関誌で、最初に私と対談した蓑原敬さんという都市プランナーが、「街は要りますか、必要ですか、もう要らないんじゃない」のという問題提起をしています。それは言い方としては都市は要りますかということを聞ききながら、もう少しこのままでは衰退の一途をたどってしまう、それに対して手をこまねいているのではなくて、もう少しみんな積極的に自ら取り組みなさいということで、いきなり「要りますか」という問題提起を蓑原さんはしているわけです。私も全国各地を歩くのが、歩くというか、もちろん車にも乗るんですが職業です。ほとんど月に2〜3度はどこか地方に出張したり、あるいは東京でもいろんな地下鉄の非常に深いところを掘っている工事現場とか、あるいはゴミの埋め立て地とか、そういったところをいつも回っておりまして、ほとんど現場にいたことはありません。そういう観点から地方都市を見る時に、このままで地方都市の中心商店街、どうなってしまうんだろうという感想はどこに行っても感じます。ただ、そうは言いながらやはり元気な中心市街地というのもいくつかありますし、逆に何となく寂れているところには何とか活気を蘇らせてほしいと、そういうふうに念じながらこの仕事を、私自身は森羅万象の中からある事実、私が最もこれぞ先端だと考えるファクツを探し出して、それを読者の方にわかりやすいように提供する、これが新聞記者という職業ですから、そういった問題をある問題意識の基に探っています。そういう目先の事実を全国から探し出すのと同時に、やはりもう少し長い視野、例えば2010年とか2015年とか、あるいは2020年ぐらいでもいいかもしれません。私自身は1950年の生まれですから、非常に話が、自分にとってはわかりやすいんですが、西暦2000年という時は50歳です。西暦2010年というと私が60歳になりまして、だいたいその年に、普通にやっていれば定年を迎える。最近はどうも私らの世代、大量にどこの組織も抱え込んでいるものですから、ある程度早めにやめる、セカンドキャリアプログラムのようなものもありますから、2005年ぐらいでやめるとすると55歳であります。そのまま次どういうふうに暮らすかどうかは別にして、2015年になると65歳、その時自分の子供たちがいくつで、家内が何歳でどういうふうになっているんだろうと、だいたい何となく自分の身の回り、コミュニティ、それは想像がつきますし、たぶんその頃には私の子供の生殖能力にもよるんですがたぶん孫ができているんじゃないかとか。そんなようなことを考えてみると、とにかくまず最初に言えることは、私たち団塊の世代、戦後のベビーブーマーの一番最後ですが、この世代が早いところで、それぞれの組織の中から退場することが組織の活性化のためには一番いいのかなと思っています。だからそういう意味では自らの引き際というのを、きちっと考えておかなければならないということを考える一方で、その後の世代が自由に伸び伸びと仕事に取り組めるような条件を整備しておこうということが、私自身の問題意識でもありますし、全国の地域づくり、あるいはそれぞれの企業の活動の中でもこの考え方、というのは非常に重要なことではないかなと思います。
まず中心市街地が、とりわけ商店街が寂れていて、極端な所ではシャッター通りという言葉があります。これは昼間でもシャッターを降ろしているお店が、いわゆる空き店舗ですね、空き店舗でシャッターを降ろしているお店が非常に目に付く、ショーウィンドーが並んでいるんじゃなく、むしろシャッターが並んでいる中の商店街です。昼間そうでないとしても、夜6時過ぎ、あるいは6時半くらいになるとほとんどの店がシャッターを閉めて、7時になるとほとんどの店がシャッターを閉めている、これが地方都市の商店街の現状ではないでしょうか。後ほどいい例としてまた話すかもしれませんが、滋賀県の長浜市ですね、ここが第三センターの黒壁というものを作って、ステンドガラスとかいろいろガラスを使った工芸品を中心に、近江牛を使ったレストランとか、非常に成功したと言われています。ところがその長浜の黒壁のいくつかの店舗を除くと、長浜の商店街、目抜き通りっていうのは7時になるとほとんどのお店がシャッターを閉めています。こういうような状況、これをどう打開するかということが大きな課題でもあります。もう少し極端な例を一つ申し上げます。それは大分県の竹田という町があります。この町は滝廉太郎の「荒城の月」という歌で有名な岡城というお城がある城下町です。岡城そのものは町の中心部から少し離れた山の上にあるんですが、これは大変ないい城跡なんですけれど、竹田の旧市内、駅前の市街地というのはちょうど全部山に囲まれていまして、中心部に入る時には必ずトンネルを通っていかなければいけないような町です。むしろ山の外側に国道57号線という、やまなみハイウェーにつながる大分熊本を結ぶ幹線国道がありまして、ほとんどの郊外型店舗が、スーパーがそこに立地しています。それからファミリーレストランのような飲食店も国道沿いに立地しています。その結果竹田の旧市内にあるお店というのは、日曜日になりますとすべてのお店が、すべてとは言いませんが、大半の店が閉店しています。ですから食事をするにも買い物をするにも、大分県の竹田市ではむしろ日曜日は町中ではなくて、郊外の国道沿いのスーパーとかロードサイドのレストランなどが集積している場所まで行かなければいけないのです。そういう状況すら起こっているのが今日の中心市街地の極端な事例だと思います。
そこでさまざまな中心市街地の活性化対策ということが施策化されているわけですが、問題はなぜ中心商店街が空洞化したのか、これは後ほどの小林さんの話の中でも出てくるかと思いますが、商業サイドから見る見方、それから都市計画のような立場から見る見方、いろいろな見方がありますが、そういうそれぞれの専門分野ごとに見る見方がちょっとあまりにも異なっていて、なぜ空洞化したかということについての定説のようなものはありません。ただし私がこの問題をずっと取材してきた結論としては、一つだけ言えることがあります。それは中心市街地が空洞化している都市、それは商店街だけの問題ではないし、あるいは個々の商店主だけの問題ではなくて、むしろその地域経済そのものがある発展期といいますか、それを過ぎてしまった、その地域経済を支える一番根幹的な産業というものが衰退、あるいは横這い状態に差しかかってきたからだということです。そういうことが私の中心市街地問題に対する一つの結論です。今、竹田の例をあげましたが、日本の都市の商店街というのはだいたいいくつかの形態がありまして、一番代表的なのは城下町です。城下町を中心をしている所は、そこに行政機関があり、鉄道の駅があったりして、それと同時に発展してきた、あるいは門前町のようなものから近代都市になったところもあります。それからもう一つ大きいのは、明治以降の、いわゆる一言で言うと企業城下町という言い方をされますけれど、必ずしも特定の企業の城下町でなくてもいいと思うんですけれど、ある程度工業を背景にして発展してきた町、それからもう一つは古い形態としては平安時代から江戸時代ぐらいまでですか、いわゆる農業が中心の時代の物資の集散地的な川沿いの、そういう所はだいたい舟運中心に荷の、今日的に言えば物流ターミナルですから、そういう機能を果たして栄えた町、そういう町がいくつかあります。そういった所が従来の都市の経済そのものを支えていた、地域経済そのものを支えていたものがだんだん地盤沈下していくことによって中心商店街が寂れていきました。こういう部分というのを相対として見ていかないと、この中心市街地空洞化の話というのはなかなかわかりにくいのではないかなというのが、私なりの結論です。一例をあげますと、最近非常に中心市街地の空洞化が目立つ町というのは茨城県の日立市です。これはもう言うまでもなく、皆さんご存じのように日立製作所、あるいはその関連メーカーの、これは企業城下町中の企業城下町で、ほとんどの市会議員あたりも、旧来でいう会社側、組合側両方を含めた人たちが日立の出身です。そういうような市議会、地域政治までそういったところが支配している、こういうような町が非常に疲弊しているわけです。それから例えば私が最近非常に好きになった町で、日本で一番どの町が好きですかと最近聞かれますと、広島県の尾道市という所が非常に気に入っていまして、この町が好きなんですが、この町もご多分にもれず中心商店街の空洞化、空き店舗対策ということに悩んでいます。たまたま固有名詞が同じになってしまうので、もし関係者がいたら申し訳ないのですが、この尾道市は尾道水道が走っていて、その対岸には日立造船という、また日立なんで日立には申し訳ないんですが、陸機ですね、造船ではなくて陸上部門の工場がありましたが、これが相次ぐリストラでだんだん衰退しつつあります。それからもっと古くは瀬戸内海航路の大きな港町だったのですね。それが今日のようにコンテナ化をしていく中で、大半の港が神戸港とか大阪港に、瀬戸内海にくる船も止まるようになって、かつての港町の面影もなくなりました。そういう海上交通上の要衝でも、物資輸送上の要衝でもあったわけですが、そういうところが衰退している、尾道なんかはかつて林芙美子が「放浪記」を書き、志賀直哉が「暗夜行路」の一部を書いたような町で、非常に坂のある情緒のある町です。この町でも今そういうような状況が起こっていて、町の中に非常にいい場があって、宮沢喜一さんとか池田勇人さんとかいろんな人の写真があるんですけれど、世界中のお酒がだいたい揃っているような、本当に由緒ある酒場があるんですけれど、そういった町がかつては色町があって、朝子供が学校に通っていくとお金が落ちていたというのが、真しやかのように語られたのだそうですが、衰退しています。同じように、今度は船の町、造船の町で、長崎県の佐世保です。ここは、今、佐世保基地と佐世保重工で有名ですけれど、戦後の復興の過程で、佐世保は石炭が産出されました。石炭が産出される鉱山の町でもあるのと同時に軍事基地でもあったわけですから、それに伴って造船業もあって、戦後の復興で石炭が非常に脚光をあび、なおかつその後に1950年以降の朝鮮動乱で朝鮮特需というものが起きた。その頃子供だった人に言わせると、家の中にお札がいっぱいあって、襖を開けるとお札がばさっと出てきたという。そういう朝鮮特需、本当の特需というものがあったんだそうです。そういう形態の町もあります。
それから桃太郎発祥の地ということで、商工会が一所懸命売り出している奈良県の田原本という町があります。ここは最近では桃太郎より鍵唐古古墳というのがありまして、これがどうも弥生時代のいくつかの大変貴重なものがあることが確認されて、よく新聞に載っている。どうも桃太郎ではないかということを商工会がやって、昔ながらの、昔ながらというとおかしいですが、1980年代前半頃はやった地域づくりを一所懸命やっている。そういった桃太郎の地域づくりよりも、本当の考古学的な発掘のほうが、非常に貴重なものが出てしまうとものですから、フィクションによる街づくりより、むしろ実物、史実の町づくりがこれから進もうとしている。ちょっと話がそれましたが、この町に典型的に当てはまるのですが、ここはいわゆる昔の荘園の一部で、ここが物資の集散地で、田原本音頭という昭和はじめに出来た音頭があります。それを見るとネオンが輝いて色町の歌なんですね。この他にも東北地方では、山形新幹線が今年開業いたします、新庄という町があります。ここも最上川の中流域で、最上地方の物資の集散地です。そういった形で町が発展してきたところが、従来の農業中心の経済から、工業中心の近代都市に移る過程、あるいは今度さらにその次、工業中心の産業都市、工業都市、近代都市というものが次の新しいステップへと移り変わっていく過程で、それに支えられたその規模で作ってしまった商店街というものが、非常に厳しい状況に立たされています。これが私が先程来申し上げた地域経済の衰退の一番の大きな要因だろうと思います。
それからもう一つがやはり従来型の都市が無限に拡張する、都市に人が集まるということに対応して、それに併せて郊外にどんどん都市を拡散してきたという、日本型の、戦後型と言ってもいいのか、どんどん郊外化していく形での都市形成、これがやはりここに来て裏目に出てしまったのです。この岐阜及び、広域岐阜都市圏と言った方がいいのかもしれませんけれど、ここもやはり新幹線の岐阜羽島駅が出来て県庁が郊外へ移ってきたわけですが、これが果たして良かったのかどうか。茨城県が茨城県庁を昔の水戸のお城の跡から郊外へ移していますし、いくつかのところが同じ様な街づくりをやっています。首都圏、名古屋圏、すべてが大都市の場合は人口急増している部分が、都市への人口集中を郊外のベッドタウンで吸収するという形で郊外に拡散してきました。それをいかに乱開発を押さえるかという形がこれまでの都市計画の課題だったわけですけれど、こういったものが現実には都心部、それぞれの都市の中心部にはほとんど手を入れない形でこれまでの都市づくりが行われてきたのではないか。これを今見直すべき時期にきているんだろうと思います。見直してしまって、地域公団のように新しい地域活性化の施策を打ち出し、そのための体制も整えているところもあります。その辺は小林さんから具体的にお話をいただこうかと思います。
それからこれからの地域づくりを考えていく上で、私が一番大きく感じるのは、いわゆるマスといいますか、大衆全部を相手にした行政にしても企業の経営にしても、それはもはや通用しにくくなったということだろうと思います。平たく言えばすべての人にいい顔しようという商売というか、行政も含めてですけれど、それはもはや通用しない。ある特定の個人、一億二千万を相手にするか、あるいはもっと世界中の人たちを相手にするか、もう少しある程度地域をばらしても特定の客層といいますか、施策の相手、それをきちっと絞り込むという個を相手にした行政、あるいはビジネスへの転換をきちっと図れるかどうか。これが地域づくり、都市づくり、あるいは中心市街地の活性化についても一番大きな課題だろうと思います。
もう一つはビジネスにしても行政にしてもそうですが、高みに立ってものを捉えるという発想をそろそろ切り替える時期なのかなと思います。高みに立ってというのは要するに、霞ヶ関の中央省庁なり、あるいは県庁や市役所、町村役場というところの、いわゆる行政が上から見下ろすという時代ではない。すべての行政の方、あるいはいろいろなビジネスをやる方も、もちろんある程度先を読むということが必要ですから、その為にもさっき言った、十年先、二十年先どうなるかという、その見通しはそれぞれの分野で必要ですけれど、それとは別にそれを具体的に世に問う場合には市民、あるいは消費者と同じ目線に立って考える。この発想が個のニーズをとらえる上ではどうしても欠かせない要件だろうと思います。その場合に、これまで成功しているいくつかの、必ずしも成功しているかどうかは別ですけれど、いくつかの実例を見てますと、一つのやり方としては、女性に人気のあるところ、女性の支持を得ているところ、これが個のニーズに適合している所とオーバーラップします。今、男も女も分けて考えるものではないという意見もありますが、実際問題として、例えば今日ここの一階のレストランを見てますと、大半が女性達です。ここのレストランだけでなくて東京の臨海副都心という、青島さんが都市博覧会をやめて有名になった新しいプレイスポットと言うか、ビジネスゾーンというよりもむしろプレイスポットと言ったほうが的確なんですが、そこにあるホテル日航とか、新しく今度メリディアンというのができましたけれど、そういったホテルで食事をしたり歓談しているお客様は大半が女性です。それから新宿のパークハイアットという有名なホテル、これは東京ガスのビルですが、パークタワーでも主要を占めているのはやはり女性客です。温泉地として有名な大分県の湯布院の観光客のだいたい6割以上、7割近くが女性客です。それから長崎県のハウステンボスという、ここはテーマパークではなく、最近は環境共生の実験都市だというのを盛んに売り物にしているのですが、ハウステンボスの客の65%がやはり女性です。同じ九州の例をもう一つあげると、例えば九州の中では秋月という、福岡県の一番南のほうの城下町があります。葛100%の葛湯とか葛餅とかを作っている町ですけれど、この秋月に集まって紅葉の時期、あるいは新緑の時期に集まってきている観光客の大半がこれまた女性です。実は私の出身は神奈川県の江ノ島の近くなんですけれども、江ノ電という電車が走っています。一部路面電車にもなっている、本当の昔のチンチン電車ですが、実は「失楽園」という渡辺淳一さんのやや過激な小説の中で、最初に七里ヶ浜にある鎌倉プリンスホテル。その三階の部屋から見た相模湾、江ノ島、富士山というのが主人公二人の逢瀬の場になるんですね。それ以来、映画化されたりテレビドラマになったりするんですけれど、平日、女性グループ、中年、あるいは若い人問わず江ノ電に乗ってやって来て、それで鎌倉プリンスホテルで3階の30何号室かを見て、「あっ この部屋よ」と言った後、ホテルのお安いランチを皆で食べて、それから七里ヶ浜を歩いて稲村ヶ崎へ行ったり、あるいはまた江ノ電に乗って鎌倉散策に出かける。そういうので、電車のお客そのものが増えたとんだそうです。こういうような形で実際に今の消費を主導したりしているのは女性で、臨海副都心にあるホテル日航の社長は「この臨海副都心は女性達の女性達による女性達の為の臨海副都心だ」と明言しています。これはさっきあげた長浜の黒壁などいくつかの観光地にやってくるお客達もおおよそそういうグループです。黒壁に少しならって、今度は鳥取県の倉吉で赤瓦という第三セクターを作りまして、同じようなといいますか、倉吉は倉吉で蔵と水の流れるいい町なんですが、一生懸命やっていて そこもそうです。今は女性の例をやや強調しすぎたきらいはありますが、重要なのはまず女性の視点から見るということが、今までとかく高みに立って偉そうに世の中を見ていた皆さんには大きな視点を変えるにはいい機会なのかもしれません。
今日、ここにおいでになっている白川さんにも協力してもらって、二年前から全国で「安全安心街づくり女性フォーラム」という、はじめは都市防災から始まった運動なんですけれど、生活、身の回りから都市の安全安心というものを見直して、これからの街づくりのあり方を考えてみましょうという、一種の市民運動の全国的なネットワークのようなものなんですが、それが一昨年の秋に設立されて、今年度は全国23カ所で様々なイベントを展開しています。イベントを開く過程で、イベントの為に男女を問わず各地域の市民グループが、あるいは市民型のシンクタンクが連携して、準備を重ねています。そこでわかったことは、はじめ全国10カ所くらいで開催しましょうという話をしたんですけれど、23カ所まで広がりまして、例えば1月の下旬にハウステンボスで開いた、長崎県の様々な市民グループ、それからハウステンボスともタイアップして開催したものに八百人の参加者が、二日間集まりました。そういうところでやはり本当に現実に、新しい、自ら身近なところからこれからの街づくりを考え出そうという市民、あるいは様々な企業の経営者が台頭しています。この人たちをいかに皆で発見、市内同士で実はそれぞれ別々に活動している人たちが、案外知らないままそれきりになっている例がたくさんあるのですけれど、この運動を通じて初めて、長崎で坂の道の都市のあり方を考える人たちもいれば、その中での老後の暮らしを考える人たちもいれば、さまざまな分野の人たちが一緒になって、イベントを通じて始めてこんなグループもあるんだということ、これからお互いに連携しながらやっていきましょうという話を、長崎でも確認したわけです。そういう意味ではこれからのそういったNPO街づくりボランティア的な市民、あるいは企業の経営者、商店主も含めて、そういった人たちがたくさんいますので、そういった人たちをいかにお互いに連携し、大きな全国的なネットワークというものを作り上げていくかということです。これは必ずしもある一枚岩のピラミッド型のネットワークではなくて、お互いにそれぞれの好きな自分たちの関心事だけでその部分だけ共に働くという、そういう個別テーマごとに手を携えていくという形でのネットワークだろうと思います。これはたぶん国境も越えていく広がりもあるでしょうし、地域の中にひたすら根を下ろしていく部分もあるかと思います。
そういう意味では、これからの話の中で、今の中心市街地活性化の問題について、少し専門的な話を小林さんにお話いただきます。その後の、仙台都市総合研究機構というのは市民研究員というような形で、あれだけの政令指定都市の中で新しい市民を街づくり、都市づくりの中に参加させるような、一体となった、文字通り市民参加型のシンクタンクだろうと思いますが、そこの白川さんから、これからの市民の台頭のような話をしていただきます。それから岡山県の高梁市の土井さん。高梁市というと知らない人が大変多いんですが、一言でわかりやすく紹介しますと、山田洋次が渥美清の「フーテンの寅さんシリーズ」で二回舞台にした町っていうのは、日本でもこの備中高梁しかないということを話せば、いい町だなということだけはおわかりになると思います。あとは小堀遠州の話とか、もう少しいい話は土井さんに具体的にお話いただくとして、その土井さんのところが備中高梁だけでなくて、土佐の高知から日本海側の米子までいろんな地域と連帯連携しています。それからもう一つ、備中高梁は、単なる市役所とか商工会議所とかいうんじゃなくて、若手経営者たち、あるいは経営者の二代目も含めて、非常に張り切っている。商工会とか行政主導型のまちづくりではなくて、若手の経営者が主体となっていろんな活動を展開をしているという意味では、非常に頼もしい、これからの活躍、発展が期待できる町だろうと思います。そんなような話を、これから皆さんから紹介していただきます。私は言ってみれば前座みたいなもので、ざっと概観を申し上げました。どうもご静聴ありがとうございました。
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