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http://www.jlp.net/news/060101c.html
改革政治に抗する
広範な連携を発展させよう
東京大学教授 松原 隆一郎 氏に聞く
編集部 松原先生は、郵政民営化についてどうお考えですか。
松原 私は、郵政民営化には反対です。
本来、どの改革が必要でどれが必要でないか、政治は価値観をもって判断すべきです。ところが、せっかく郵便局のネットワークがあるのに、民営で維持されるのか否かまったく議論しないで、ただ単に民営化すればよいというのはおかしいですね。そもそも民営化を進めたいのは、郵貯を狙う大銀行だし、簡保を狙う米国でした。政府はそうした一部の圧力団体の意見を聞くだけで、多くの国民は、別に改革が必要だとは思っていなかった。現状では何も困っていなかったですね。であるのに、一律に「小さな政府ならよい」というので、大きさ・小ささという数量で争うとすれば、それはもう政治ではありません。
しかも、「公社化」という改革なら二〇〇四年にもう実行していたはずです。その改革の成果がどうなるのかを見ないまま新たに民営化ということは、公社化の中身はどうでもよかったということになります。しかも、諸外国では民営化で失敗しているところが多いですね。
郵貯にかんしては、国民が安心してお金を預けられるところ、別にハイリターンでなくても、ローリスク・ローリターンでできるところに、公共性があると思うんです。
この間、小泉政権がやってきたのは、そういうローリスク・ローリターンの貯蓄先をつぶすということです。すべての国民が、ペイオフによって、銀行のバラスシートとかをずっと見ていないといけないというのは、愚かなことでしょう。働き盛りの人はともかく、引退した高齢者までがリスクを負うために毎日銀行の資産を分析させられるというのは、くだらない老後だと思います。
ほとんどの国民はそんなことを気にしないで、利益はないにしても、自分の資産を安全に守ってもらえれば十分なんですよ。高齢者の資産を保つことぐらいは、国がやるべきではないでしょうか。郵便局のように残すべき公共財は、ほかにもあるはずです。高速道路のように無駄なものとは別です。
その点、民主党が言っていた郵政改革は、むしろ自民党よりもハデでした。前原さんの憲法改正論もそうですが、ある意味、自民党よりも「過激」にしないとおさまらない、というようなところがありますね。そもそもイデオロギー的に対抗していませんから、二大政党制の機能を果たしていません。
■小泉改革は一部のためのもの
編集部 小泉政権の下で、社会が弱肉強食、格差が著しくなってきていますよね。
松原 少子化問題にしたって、非正規雇用がこんなに増えて、年収百万円台とか、結婚さえできない人が増えている。それで子供をつくるもなにもないですね。年収七百〜八百万円の人をモデルにした少子化対策なんて、おかしな話です。
こうしたすべてのことについて、小泉政権では一部の人を相手に政策がつくられていると思います。
私は、高度経済成長のころなら、マルクス主義というのは間違っていたと思うんです。でも、現実はマルクスの言うようなところに近づいています。銀行だって、淘汰(とうた)されて合併して、まさに金融独占資本、レーニンが言った金融寡頭制じゃないですか。
むしろ、いまは廃業してしまったマルクス主義経済学者が、求められている気さえします。
■噴出する規制緩和の弊害
編集部 昨年はJR西日本の尼崎事故や、耐震強度偽装が問題になりました。これは、民営化・公共性無視の政治の一つの結末ではないかと思いますが。
松原 耐震強度偽装では、公共のものが民営化されて、「(認可を)早く早く」ということになっているわけですね。薬品の認可も同じです。審査がまともにやられているとは思えないです。いまに始まったことではないでしょうが。
そもそも、「官民」のゆ着よりも「民民」のゆ着の方が、簡単に起きるのは当たり前じゃないですか。「官民」のゆ着はマスコミも非難しますが、「民民」は批判しようがないところがあります。銀座なんて「民民」接待の場所でしょう? 民間に公的機能を持たせるなら、何が「公」なのかはっきりさせるべきです。そうじゃないと、批判もしようがない。もともと、そんな仕組みにしたこと自体がおかしいですね。
その根拠は、「市場競争であれば必ず浄化される」という思いこみです。しかし、この前提は「被害者が出る」ということです。常に淘汰される人が一定いるということですから。しかし、「住」や「移動」といったサービスは、そもそも被害者がゼロでないといけない。そうまでして安くすることに、どれだけ意味があるのでしょうか。
住むことについては、町づくりも含めて、「公」に守ってもらわなければならないところがあるのだと思います。例えば、個人で堤防をつくったりはできませんでしょう。耐震強度偽装の問題は、もっともっと出てくるんじゃないでしょうか。コンクリートの建物は異常なほど耐用年限が縮んでいましたから。これは行政の問題、規制緩和路線全体の問題でもありますね。
■商店街充実が地域経済に有効
編集部 町づくりの話がでましたが、規制緩和とからめて、商店街のシャッター通り化の問題についてはいかがでしょう。
松原 シャッター通り化、反面での郊外化はモータリゼーションともからんでいるので、大規模小売店舗法の影響というだけでは片づけられないと思います。
ずっと前から、スーパーのようなちょっと大きな店舗はあちこちにあって、その後には、コンビニエンスストアのように値段は下げないが「便利」な業態が出てきた。これは、大店法の規制に適応して出てきたわけですね。こういうのをどう考えるかという課題があったはずですね。
本来、商店街は、住民が仕事場や学校以外でフェイス・トゥ・フェイスで賑(にぎ)やかにやれる、楽しい場であるはずです。
ところが、個々の商店自身の問題もあるでしょうが、商店街が結束して本来の魅力を訴えて大手に対抗するということは少なかったし、それを促す行政の動きもなかった。文化的・社会的な規制や誘導も必要でした。駅周辺の都心であれば、人が集まり、住みやすくなるような施策とかですね。なんでも近代的なものにして地下街にしたり、大型店を誘致したりというような画一的なことではダメです。現実は、東京を真似(まね)たような地方都市は、みんなボロボロでしょう。
楽しい商店街を残すように、お店も危機感を持って努力すべきでしょうが、行政もやるべきことがあると思いますね。国道沿いに店を並べるよりも、規制をきちんと行って駅前商店街を充実させた方が、地方の経済にはプラスだと思いますよ。
■国民に「将来の見通し」与えよ
編集部 社会経済学の専門家として、いま、国民に取り戻されるべきものは何だとお考えですか。
松原 米国の経済学は、生産側の効率性しか考えないんです。ところが、人間は消費したり寝たりもしている。そのバランスがおかしくなっていると思います。
強調したいのは、生産と消費を結ぶルートは、「将来の生活設計ができるかどうか」だということです。良くも悪くも終身雇用制度があったころは、ある程度まで将来を見通せた。出世するとか、しないとかはありますが。
経済成長が以前ほどできなくなったとしても、将来の生活を見通すことは不可能ではないはずですよね。ところが、見通し自体が立たない社会になってきている。
がんばろうと思えば所得が上がり、「ほどほどでいい」と思って現状維持できるなら、格差はある程度まで容認できます。ところが、いまはその流動化の可能性自身が分断されていて、正社員と非正社員は身分制のようになっている。これでは、将来への見通しは立てようがないですね。年収百万では結婚などしようもないでしょう。
もう一つは、日本の戦後はコミュニティがずっと縮小してきた。先ほどの、コミュニティの担い手である商店街の崩壊の話です。代わって、ただの消費の場である国道沿いの店だけが残った。けれども、商店街には経済以外の「人付き合いの場」という機能もあった。
だから、学校や仕事場を離れたコミュニティが必要だと思うんです。ヨーロッパで言えば日曜日の教会のようなもので、これは、一種の社会資本でしょう。いろんな年齢の人、職業の人が利害抜きに集まれる。そういう場所があるから、仕事や学校で落ちこぼれた人も行き場がある。その場所がなくなったら、引きこもるしかないじゃないですか。引きこもりは、現状の日本ではある意味、当然の反応です。
お風呂屋さんや碁会所とか、町道場とか、もうかっていなくても、コミュニティ機能をもつものに、政治はもっと補助して減税措置などをとるべきですね。私も、柔道場に通ってますが。
編集部 そうなんですか(笑)。どうもありがとうございました。
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まつばら・りゅういちろう
1956年、兵庫県神戸市生まれ。
東京大学工学部都市工学科卒業、同大学院経済学研究科博士課程修了。現在、同大学院総合文化研究科教授。専攻は社会経済学、相関社会科学。著書に「消費資本主義のゆくえ」「失われた景観」「分断される経済」など。「朝日新聞」などに書評を執筆中。
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