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(回答先: 少し誤読があるのではないかと感じました。 投稿者 アロン 日時 2006 年 11 月 13 日 09:56:42)
アロンさんと私との間にある隔たりの中継点として、如往さんの以下のまとめを受け入れることにしませんか?
「補足を少々。」(http://www.asyura2.com/0601/dispute24/msg/629.html)から、
“先ず、ラテン語の[cogito, ergo sum]は、厳密には『[cogito](思惟するもの)であることにおいて[ergo](我)は[sum] (在る)』という意味だったと記憶しています。これを哲学の出発点となるべき第一原理としたデカルトには思惟する主体の確実性と思惟(力)の延長性(可能性)にたいする揺ぎ無い信念があったと想われます。
そこで、 “感覚受容体”も“思惟するもの”も主体の諸相及び主観の諸相を表象しているものと謂えるのではないでしょうか。つまり、感覚受容体であるかぎりにおいての“我”であることや、思惟するものであるかぎりにおいての“我”であることを認識の起点にすることに関して、アロンさんと天蓬元帥さんとを別つのはどちらに確信を持っているかという点に集約されると推察しています。”
私達の対話に学識ある如往さんの注目を頂いたことを奇貨として、今後ともお互いに研鑚を積み対話再開の時を期するということで収めたいと思います。有難うございました。