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(回答先: 基本的人権、自由ということについては、立場の違いを超えて連携できるはずだし、そうすべきである。 投稿者 heart 日時 2006 年 11 月 04 日 23:50:55)
>heartさん ご意見とすれば大筋で正しいだろうと思っています。
しかし、Kも「偉そうな事はホザケル立場ではないのですが」
相手を批判(批判とアドバイスは別ですが)をしておいて、その一方で「協力しよう」というのは
「右手で握手しながら、左手で殴る」ようなもので「理屈では、協力しなければと思っていても、両者の間に不信感があれば、難しい」だろうと思います。
ここで問題なのは「自分の評価は自分でするのではなく相手がする」と云うことです。
例えば「Kはheartさんを評価した上でアドバイスのつもりでレスを入れてます。」それは、もう何度も説明したとKは思っています。
しかし、Kが思っていても「heartさんは、そう受け取る事ができない」という実例が目の前にある訳です。
しかし、事態がこの辺まで進んできた場合、少々卑怯な方法であっても「相手の人格攻撃を行ったり、スキャンダルを抉る」とか「不安感を煽って、世論誘導をする」という手法も「方法論として考えなければいけない時」だろうと思っています。
しかし、ここで勘違いしてはいけないのは「この手法は本来は正攻法ではなく、できれば避けたほうが良い卑怯な方法」だと言うことと「使用すべきは、政府および与党さらには明らかな改憲支持勢力にだけと必要最小限に」と云う点です。
例えば「2ちゃんねる」とか「マスコミ」といった「まだ、浮動票の層」にケンカを売ったって「離れていくだけ」でしょう。
「自分と違う価値観」に拒否反応を示せば、対立関係になりますが、対立関係になっている人の言うことは「全て間違っている」とは言えないでしょう。
そのように考えて言った時「私の主張は正しい」だから「折れるべきは相手だ」と云う考え方が障害になるのでしょう。相手には相手の意見があり、考え方があるのです。そこを感情論的なもので「予断・偏見」というフィルターを掛けてしまうと、「自分の都合の良い時だけの正等な論=ご都合主義の勝手な論」と『相手が受け取る』ことになるのかもしれません。
これは、Kの自分への問いかけでもあります。