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(回答先: 愛国心について【池澤夏樹 2004−04−07】 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 10 月 29 日 21:58:19)
> 最初に、ことの順序をはっきりさせておきましょう。
> 人が集まって国を作った。その逆ではない。
> 国は人の集団の一つの形です。ずいぶん大きいし、複雑だけれども、国民の暮らしのために国民が運営しているもので、それ以上ではない。
> 主権在民とはそれを改めて確認する言葉です。
> 国民を超える崇高な使命などというものは国にはない。
まあ、弥生時代ではないので、現在ではムラや郡・県レベルでの殺し合いはないですね。日本人同士で殺し合うのは基本的には西南戦争で終わりですね。
> なぜ国を讃えるのか。
> 日本国民として生まれた以上、自分の国を讃えるのは当然のことである、というのが国歌斉唱を強制する側の説明です。
> 愛国心という言葉も同じ論理の上に成り立っています。かけがえのない日本、唯一の祖国。
> だから愛せよと言う。
それなら、自治体レベルでもそういう理屈が通って良いですね。県歌や市歌の強制があっても不思議ではない。国というのは、最大の自治体と言えるのではないか。ただムラやクニがでかくなっただけなのに、大きな顔する必要はない。一豪族の子孫の批判がタブーになっているが、何故一豪族が全国民が批判を許さぬ絶対不可侵の現人神として崇拝せねばならなくなったのかの経緯は大事ですね。古墳時代の価値観が現在の企業社会にそのまま持ち込まれているとは考えにくいのですが。
>戦争とサッカーは違います。集団で戦う興奮という点では実は似ているのですが、それを上手に整備して、ルールを確立し、戦いのエッセンスを抽出したのがサッカーです。サッカーでは人は死なないし殺さない。
しかし、今の東アジアでは中米のサッカー戦争のようにサッカーで興奮した群集が、「日本人を殺せ!」と騒ぎ出して、戦争に突入しそうな雰囲気だから恐い。今の日本では「日本をなめるな!中国や韓国は2,3発殴ってやらないと言うこと聞かないんだ。小○生萌えー」テレビとパソコンのある四畳半で日本刀を振り回すナショナリズムが萌え上がって暴走しそうなので、気を付けないといけないと思います。