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(回答先: Re: キリスト教も(彼らの)文化だと思います 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 9 月 11 日 00:15:05)
Kotetuさん、レスを頂きましてありがとうございます。
衝動的に人のスレッドにレスしてしまう癖がありまして、
見当違いのレスが多くて、皆様にご迷惑をかけております。
厚かましいですが、なにとぞご容赦くださいませ。
>小生は「宗教」に理解力がないというか、不信心なのか、とにかくよくわからないというのが正直なところです。
>個々人が忘れない(集団として記憶する)というのは外観で、実際はキリスト坊主が繰り返し教え込んでいるのだと思いますけどね。
またまた、気がついた事を書かせていただきます。
一神教というより、布教形態に私は注目いたしました。
日本人になじみ深い仏教や八百万の神信仰等は、熱心に布教するのではなく、
人の方が自然と引き寄せられるという事の方が多いようです。
そのような人々は教典、教条に惹かれるというよりもむしろ、
それに携わっている人々の所作、振る舞いや
神社、仏閣の清浄さや、神秘さに惹かれての事なのだと思います。
また、一部の仏教には密教等もあり、また、経文は漢文でむつかしく、
ある意味、排他的です。古神道等も古代文字等が使われており、
求めなければ、深い追求は出来ないものが多いです。
それに対して、キリスト教は、古くから聖書による布教に熱心であり、
追求しなくても、平易でやさしい所から布教が可能であり、
牧師の解釈により、その時代時代に合わせた引用により
教義がなされているようです。
彼らの決まり文句が“聖書に誓う”、ということであり、
水戸黄門の印籠のように聖書はまるで伝家の宝刀であるように用いられます。
悪しき行動も聖書という免罪符で肯定されているように思います。
布教に力を入れる宗教は、統一教会、創価学会等も似ております。
多くの新興宗教の中でも、勧誘に熱心な所は、
批判も多く、日本人には警戒されているようです。
秀吉や徳川幕府がなぜ、禁教としたのか?
諸般の事情があったのでしょうが、脅威を感じていた事は確かです。
そして、明治維新となった時に、廃仏毀釈などによって、
人々に国家神道を押し付けようとした事は、
もしかしたら、キリスト教に対抗する為だったのかもしれません。
ありがとうございました。