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人間は社会的動物であり自分がどのような集団に属しているのかを確認しない事には安心して生活できないという脅迫観念を持っている。
その為に自分のアイデンティティ確認の為に国・民族・宗教などを利用する。
自らの思考の出発点自体を国や民族や宗教に求めるのだ。
この事が国家間対立・民族間対立・宗教間対立の原因となる。
自分が生きる目的が自分自身の利益ではなく国家や民族や宗教という集団の利益になってしまうのだ。
集団の為に自己犠牲も厭わない人をその集団が顕彰する。
靖国神社はそういう施設だ。
靖国神社に対する批判を多くの人々が理解できないのは自分の生きる目的の一部が国益であったりするからだ。
その事を前提にしている人々に靖国神社批判がピンとくるハズもなかろう。
国益を批判しているように思えるからだ。
個人は国や民族や宗教が自分の身を保護してくれるもののように錯覚している。
実際は逆であり個人が国や民族や宗教を保護しているのである。
かくて個人は自覚する事なく国家・民族・宗教に使い捨てにされるお人よしであるに過ぎない。
靖国神社は「よくぞ素直に国家の為に死んでくれた。礼を言うゾ。」という場所なのである。
奴隷は靖国に祀られる事を信じて敵艦に自爆攻撃をした。
国の家族を守る為に自爆攻撃をしたと思っているのだ。
実際には守る事はできなかったが「守ろうとして自爆をした。」という事に日本国民は感激し感謝するのだ。
ここで問題になっているのは「守ろうとした。」という主観だけであり実際に守れるかどうかではない。
「よかれと思ってした行為」は全て許されるというのが主観主義のワナだ。
日本の大半はこの主観主義に洗脳されている。
英霊のお陰で現在の日本があると。
目を覚ませ!日本人よ!
【安倍にやらすな】
http://ameblo.jp/wayakucha/