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(回答先: Re: ポー作「盗まれた手紙」のD大臣の犯罪哲学やで 投稿者 薬痴寺 日時 2006 年 8 月 28 日 19:39:01)
真実に似せた無数の説をブクブクとシャボン玉のように噴出す事だ。
1万個のシャボン玉の中にシャボン玉そっくりのガラス玉が1個あっても見分けがつきにくいだろう。
ビンラディン=アルカイダ物語は非常にうまくできた物語だ。
ヨゼフ・ボダンスキーの「ビンラディン」はビンラディンのアメリカに対する怒りに感情移入してしまいそうなほどによくできている。
「9.11の真実」究明運動も気をつけなくてはならない。
99%の真実の中に1%のウソを混ぜてそれを信じ込ませた後にその1%のウソが指摘されたら残りの99%もウソ臭く見えてしまうというワナにかかるかも知れない。
根拠が無い憶測がばら撒かれその憶測の中のうまくできた作品が人々の心を捉えた時人々はあらぬ方へ引っ張っていかれるだろう。
憶測と憶測のドロ試合が行われている時、人々はうんざりして真実などどうでもよくなるだろう。
人間の思考を一定の枠の中にはめる事も又真実を隠す方法として効果的だ。
テロリストと自由主義の戦いという魅力的な二項対立図式に人々は好んではまりたがる。
真実が何であるかよりも自分がどういう気分かの方が大事だという事。
自分が自由の為の戦士であると自己陶酔さえできればいいという事。
自分が今まで信じてきた世界観の方が真実よりも大事だという姿勢。
自分の国に誇りを持ちたいから自国が過去に行った悪行を知りたくないという傲慢。
現実に立ち向かうよりも酒でも飲んで浮かれていたいという事。
安直な目的だけを自分の目的にする事によって真実などどうでもいいと捨て去る事。
真実に向かわせないあらゆる誘惑が我々の周りにひしめいている。
真実の追求は命も危険にさらすという事
かくて世界の支配者は安泰となる。
真実から我々の目をそらすものに対する批判が必要だ。
真実を知らなくても何とか生きていけたらそれでいいではないかという家畜にはなりたくない。