★阿修羅♪ > 議論24 > 231.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 国民の責任問題 投稿者 東京音頭 日時 2006 年 8 月 21 日 00:22:15)
東京音頭さん、レスありがとうございます。
日本国民は国家からどれだけ独立しているでしょうか?
ほとんど独立していないです。
国家を家か何かのように勘違いしています。
国家と書くぐらいですからね。
実際には国家は一国民にとってそんなに親和的なものではありません。
むしろ国家は国民を骨の髄までしゃぶるようなものです。
不断はあまりそういう事は感じられないかも知れません。
しかし、戦争などがあると国家は国民を手段として酷使するのです。
では、国民は国家に支配されているのだから戦争をしても責任は無いのか?
そんな事はありません。
国家の手段と化しているというその奴隷状態から脱却しない事によって他国に迷惑をかけたりするのであるから独立していないという責任は個人に問われるべきです。
つまり抵抗権を行使しなかったという責任です。
最高権力者に全ての責任を押し付けて「私は言われた通りにやっただけだ。命令には従うしかなかった。だから私には一切責任が無い。」という態度は正に無責任でありこんな事では未来永劫戦争が繰り返されるでしょう。
戦争をなくすには戦争をしようとしている国家の国民が戦争を拒否する姿勢を示すしかない。
ところで大日本帝国の戦争を日本人はどれだけ総括しましたか?
ほとんどできていないでしょう。
という事はその宿題は次の世代へと残されているのです。
戦後生まれの日本国民はあの戦争における具体的な戦争犯罪責任を問われる事はないでしょう。
しかし、国家から独立していない国民の一人として
あの戦争をキチンと総括できていない国民の一人として
宿題をさぼってきた国民の次世代として
その宿題を背負う姿勢を示さなければ侵略先の国民から信頼を得る事はできないでしょう。
その意味で自分が生まれる前に自国がやった事の責任をも負うべきなのです。
私は法律的に当事者責任があるかどうかを論じているのではありません。
国家というのは実は曖昧もことして責任の所在をハッキリさせない責任転嫁の為の装置なのであり、もし戦争をやった事に関して「悪いのは国家(最高指導者)であり国民には一切の責任は無い。」などと言うならば様々なレベルの責任が発生している人々を全て免罪する事なるのです。
このようなスケープゴートを捧げて他が免罪されるという構造は実は責任の所在を曖昧にして再び戦争を起こす際に国民に安心して戦争協力できるという保証を与える事になるのです。
従って日本国民は少なくとも被害国が問題にしている内は戦争の責任の所在を細部にわたるまで克明に追求し続ける義務を負うのです。
そのような行動によって初めて我々は無責任の体系の国家から独立して責任ある個人になる事ができるのです。
我々侵略者の末裔は侵略の責任を追求する責任があります。
宿題を先延ばしにする姿勢はあの戦争の事は時間が経てば風化するだろうと期待して時間稼ぎをしている姿に見えるでしょう。
「昔の事は水に流して友好関係を築こう。」というのは侵略された国が侵略した国に対して言ってこそ意味をなすのであり侵略した側の国がそのような意識を持つ事は許されません。
「こちらは友好関係を築こうとしていのに靖国参拝程度のことでゴチャゴチャ言うから友好関係がいつまで経ってもできないではないか。友好を破壊しているのは中国や韓国だ。」という意見はどう思われますか?
靖国神社の意味、参拝の意味、参拝がいかに中国や韓国の人々に危機感を募らせるかを理解しない意見だと思います。
日本国民の多くも小泉の参拝を支持し、「中国や韓国の言いなりにならなかったのがよかった。」などと思っているのです。
このような意識は大日本帝国から連続した自民族優越主義であり、日本国民があの戦争を充分に反省して来なかった証左です。
戦争は過去の事ですがその戦争賛美の象徴である靖国神社肯定的に捉える事は現在の我々が戦争遂行者の意思と結びついている事を意味します。
このような点において我々はあの戦争に対する責任ある態度を示す必要があるのです。
過去に対する態度
自分が属する集団が過去に犯した過ちの責任を取ろうとする事
過去に対する態度によって人はその人がいかほどの人物かを評価するでしょう。
過去に対する共通認識によって友好的な未来を形成するのです。
厳密に法的な当事者責任があるかどうかという事は国家という欺瞞の体系の中で論じてもあまり意味がありません。
個人が国家とどう向き合うのかによってどうとでもなる問題だからです。
自国の過去の責任を引き受けようとしない人々も又権力者と同じように国家を利用する人々です。
朝鮮戦争で日本は特需にあやかり景気を回復しました。
高度経済成長の裏には朝鮮人や多くの人々の犠牲があるのです。
高度経済成長の恩恵にあやかる私たちは朝鮮人に後ろめたさを感じないでいいのでしょうか?
おこぼれに預かっただけであり、自ら戦争をやったワケではないなどと言って開きなおれるのか?って事です。
世界は全てつながっているのです。