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(回答先: 自虐史観 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 8 月 20 日 17:49:52)
ワヤクチャさんへ
少し前になりますが、私の質問(加害者責任について)に答えていただいたのに、それに対してお返事をすぐにせず、たいへん失礼しました。
何度も論争をし、お互い歩み寄れないような感じなので、どのように書こうと迷っていたら、遅くなってしまいました。
この度のこの投稿に、私と論議しましたことと関係しているので、ここにお返事を書かせていただきます。
まず、誤解されないように言っておけば、日本帝国時代に生きていた大人の加害者責任問題と、(例えば、政治家、企業経営者、兵士、軍需工場で働いていた人々、教育者、軍国少年らを育てた親等)と、その当時の子供、また生まれてなかった人々とを分けて考えたいと思います。
前者については、色々と議論があると思いますが、ここでは 私は、後者の加害者責任についてのことについて述べたいと思います。
下で、私の質問に答えていただき、読んで考えましたが、やはり私は、当時のこども、生まれていない者には、加害者責任があるとは、到底考えられません。
細かい質問に対し、(一々答えてくださってありがとうございます。)なぜ、こんな質問を??を書いておられましたが、私は、色々な立場の人々が実はたくさんいて、国籍(民族)などで、分類することは意味がない、ということをわかっていただきたかったのです。
私が、”加害者、被害者”ということにここまでこだわるのは、これが、ワヤクチャさんのいう、心の問題ではなくて、大いなる政治問題と化しているからです。
私は、当時の侵略に少しでも荷担した人々ならいざ知らず、現実に、全く関与していない人々に同じ国家に住むから、とか子孫だから、とか 同じ民族だからと ずっとその罪をせおえ(被害者とされる人々の住む国が許すまでかな)というのは、意味がない、というより、犯罪的とも思います。
私は、一応教育者ですが、6歳のこどもを教育する時、そのこどもは、すべてにおいて、平等であると私は考えますが、ワヤクチャさんは、もしかたやインド系、かたやイギリス系の場合、もう、イギリス系のこどもは加害者になるわけですが、どういう違ったアプローチをなさるのですか。あなたの先祖はインドにこんなひどいことをした、だから、あなたもその罪の一端をになっていきなさい、とでも。
彼らの今生きている世界で、理不尽さがたくさんあるわけです。貧富の問題、オーストラリアなら、先住民問題などです。イギリス系は、祖先が先住民を虐殺したのだから、加害者で、インド系は、そうではないからといって、違う方法で、先住民問題を考えさせるのですか。
アボリジニーの生徒に対し、イギリス系の子を加害者としてせっするようにさせていくのですか。彼らの血や出身国で子供たちを分けて、いったい何の意味があるのでしょう。
それより、構造的に作られる貧富の差や、差別、海外派兵など、団結して、仲間としていっしょに行動するような教育のほうが大切です。
もちろん過去があるから現在があるのは当然です。
今の韓国や朝鮮、日本のことを考える上で、将来戦争や侵略がなく、平和な未来を築いていくためには、過去から学ばなければなりません。そのためには、事実を見て、なぜ、このような残虐なことが起きたか正視しなくてはなりません。同感です。
そのために必要なことは、例えば日本人側なら、加害者意識ですか(本当の加害者を除く)。
違うと思います。加害者意識がなければ、事実を見ようとしないとか、平和をきずこうとしない、とかということはないと思います。
ワヤクチャさんは、加害者ではない、という人、イコール 歴史に事実を見ない人、関係ない、という人という決め付けをしていませんか。
韓国側の被害者意識も、自然とわきあがる感情ならわかります。が、国家によって、統制されているように見えます。かつ、真実を見ることを妨げられていませんか。”被害者国家”を保つ為に。
(ユダヤ人がいい例です。)これは、韓国の人のためですか。
どのように、韓国の人のためになっているのでしょう。
私は、自虐史観については、ここに特に話しませんが、加害者責任について、言及されている部分について、意見を書きます。
ワヤクチャさん) 教育はまず事実を事実として伝えるべきであり「自分の国に誇りが持てるようにする。」という事を前提にした歴史物語を捏造し子供に教える事があってはならない。
そう思います。どの国でもそうして欲しいと思います。やっていない国が殆どですね。
)あの戦争において様々になされた蛮行が「戦争だからそういう事があっても仕方がない。」として「いつまでも過去の戦争の事をゴチャゴチャ文句を言う中国や韓国はうるさい。」などと言う資格は日本人には無い。
実際にやったことは、なくせないと思います。このセリフからすると、こんなこと言うな、と思うけれど、ごちゃ、ごちゃいう内容にもよると思います。
)逆の立場になって考えよう。もし、日本が朝鮮や中国から侵略を受けて酷い目に合わされていたら60年やそこら経てば綺麗さっぱり忘れて何事もなかったかのように付き合う事ができるだろうか?事実は永遠に残るのだ。事実は残っても許されて友人として再出発できるかどうかだけなのだ。
きれいさっぱり忘れることなんかできないでしょう。
)反日運動があるという事はまだ許されていないと考えるべきであり、
そうとはいえません。
)賠償云々という事ではなく、態度で謝罪の気持ちを伝える事ができるかどうかにかかっているのだ。その事ができるまでは辛くても大日本帝国軍の蛮行を日本人はもっと知る必要がある。
国としての謝罪というと、今までの日本政府にかけていたものはなんでしょう。
また、私は、謝罪の気持ち云々にかかわらず、日本帝国の蛮行をもっとみんな知ったほうがいいし、できれば、日本が併合する前の朝鮮の歴史も 知りたい。それも庶民を主人公にした歴史だ。ほとんどの国の歴史は、ブルジョア史観だから。韓国の生徒にも、庶民から見た江戸以前の歴史を知って欲しい。東南アジアなんかも勉強したらいい。
お互いの共通点がわかり 共感しあえると思う。
)戦争は国家同士の対立なのだから国民は過去の自国の悪行をよく知って行動する必要がある。そこで個人に責任があるかどうかに問題を転化できないのだ。国とはそういうものだ。
まったくそうは思いません。戦争は国家同士の対立ではありません。あるグループの人たち同士の戦いです。権力により、大半の人は巻き込まれているだけです。国で分けられてね。
日本人は今まで日本軍が侵略した国の人々の話をどれだけ聞いてきただろうか?今からでも遅くは無い。よく聞いて考えるべきだ。
絶対的にいうと、聞いていないのかもしれませんね。戦争や侵略の事実を知るために、もっときいたらいい、と思います。国の為政者ではなく、当事者らに。
反感を覚悟でいえば、日本は、相対的には 聞いているほうでしょう。戦争に負けた国だからね。
)その時に誇張しているなどと言って逆切れしてはならない。
誇張している というと、逆切れとみなすのは何故?
3万人が2万人でも虐殺には変わらない、と私も思うし、被害を受けた人が、誇張していいたいのは当然だし、又、思い込んでいることもあると思う。でも、ホロコーストの、ユダヤ人の殺された数の推移が歴史の真実と解き明かすのに重要なことを見ると、なるべく事実に近いほうがいい とは思う。
)被害を受けた側が多少オーバーに言ったからと言ってそれを侵略した側の人間が非難できるだろうか?その非難は却って反感を買うだろう。侵略戦争をやってしまった者の立場はほとんど無いと考えるべきなのだ。
非難などできないと思う。しかし、問題は、オーバーとかではなく、故意の誇張なのではないですか。なぜかというと、悲しみ、苦しみをを分かれってことではなく、国の権力者の都合の政策のため の可能性があるからでしょう。日本政府のかたを持つのではなく、苦しみ死んだ中国の人々の悲しみ、無念を政治利用するのは、何人でもいけないのではないでしょうか。
)中国政府は日中国交正常化交渉の中であの戦争は一部の軍国主義者に責任があり多くの日本国民は犠牲者だという見解を無理やりこしらえて多くの日本国民を免罪したのだ。寛大ではないか。
はい。私は、この話を聞いて、当時の中国政府を尊敬しました。
さすが、共産主義だと。この考えは正しいのではないですか。無理やりこしらえたのですか。
私は、さすが長い時代続いた階級制度を倒しただけのことはある、なんと強い論理だろう。と、感動しました。あの毛哲学の赤い本を読み、その理想にひどく共感しましたが、無理やりなんてことはないと思いますが。
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もともと自虐史観、靖国について述べられた文なので、抜粋した事で、ワヤクチャさんのいいたいポイントがぼけてしまったかもしれません。