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(回答先: 歴史を学ぶ風潮を作りましょう。 投稿者 haru 日時 2006 年 8 月 13 日 17:52:21)
なぜ、そんなに過去を見なければならないのか。これが素朴で非常に強い疑問です。
つまり、過去を問題視して、その評価を新たにしようとしてきたのは自民党の人なのです。彼らは日本民族という言葉に力が入る、アイデンティティということに強い意識をもつ人たちです。過去を、自分たちをどうしても正当化したいのです。
でも、市民のすべてがそんなものを必要とするわけではありません。個人のアイデンティティはともかく、地域や国のアイデンティテイをそんなに重視する必要性を感ぜずに来ました。とくに地域も同様な志向であることを目指して来ました。それで現在は困ってきていますが。
民間の人が世界の人々と交流するに際し、一々過去のことにこだわっても仕方がないでしょう。「過去はそうでしたか」と一応受け止めて、現在と未来を協調していくことで済み、外国の人もそれ以上個人的に追及することはなかったのではないでしょうか。
結局、政府活動について対外的に責められてきただけで、政府活動の中心にある自民党の人が、国益に反するだとか、いつまでも過去のことで責められたくない、などといってきたのではないですか。
もちろん、選挙を通じて政治に参加する以上、そこでいろいろな政治的な、国際的な問題を考える以上、歴史を適切に学んでいくことは不可欠です。
そうだとしても、それは常識の範囲内でよいはずです。日本近代史に常識がないことなのではなく、暗黙裡にもっていた素朴な感情、日本的な慎みや長いものにまかれろ式によって生まれてきたそれと、その反対の超国家的な合理的な思考の勢力によるそれが一致してきていたものを、伝統的な権力志向の人々が覆そうとしてきたことに今日の争点があるのではないでしょうか。権力の常なる正当化を要望するこの勢力は、必要の少ない細かな歴史的事実を教え込もうとし、これらの事実を知らないでは論じることができないとでもいうようなことを主張しているのではないでしょうか。つまらないことを、さも重要なことであるかのように論じている人々として思えないのです。(そのよい例が日本は神の国の発言です。靖国という言葉になにか愛着が多いのもこれとほとんど同じなのではないでしょうか。)さらに外交の駆け引きやそれによるメリットこそ大事なことなどと。
生半可な歴史的な事実を学ぶことは、歴史を学んだことにはならない。
市民にとって必要なことは、未来志向でかまわないのではないでしょうか。グローバルなネットワークが広がる中で自然にゆっくりと、互いの歴史や生活について学んでいくのではないでしょうか。
変な政治家たちによる問題提起こそが問題を大きくさせているだけで、常識は親から子へとある程度伝達されているのではないか。こんにちの若い世代が歴史的な事実を知らなくても、基本的な人権や生活の軸から未来への交流は生み出せるものと思う。