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(回答先: 征服王朝説は成り立たない、というのが、最近の、大勢です 投稿者 健奘 日時 2006 年 8 月 03 日 19:06:52)
縄文期の精神性のなごりは、古墳時代以降にも、続いていると、言われています。
たとえば、ヒスイを呪具と見なす事、地母信仰でもちいられた壊れた土偶(後の、割られた餅)、などなどが、指摘されています。
これらの精神文化は、天皇を担ぐこと、さらに、天皇が神と話しをする人だったことから、残っていったのだと、推察するわけです。
天皇家の安泰のために、神々が選ばれ、その中に、古来の教えがあっても、不思議ではなく、また、排斥する必要はなかったのです。(後に、仏教を導入するにあたり、それ以前からの、神々を排斥してはいません。相手にしないこと、あるいは、忘れていくことはあったでしょうが。)
これが、他の世界では、様相が異なります。神は、唯一です。結果、豊かな精神性(神々、という意味で)は、排斥されます。(ヒンディーイズムは、別の機会に、議論したいですね。)
明治になって、ヨーロッパの影響で、排斥的な運動がおこりますが、これも、おさまっていきました。かくして、現代でも、巨木、巨岩、深い山、に対する畏れがあり、死後の世界が、草花の陰にひそんでいる、そんな精神活動を、多くの人がしています。