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(回答先: Re: 対立の構図 投稿者 まとはずれのおせっかい 日時 2006 年 7 月 22 日 19:07:06)
責任という言葉は本来、倫理を伴う秩序に於いて意味を持つものでしょうし、従って責任のあり方は当然その秩序の内に於いて問われることとなる筈です。そうした意味を踏まえるならば、自己責任という言葉はそれ自体が責任の否定というニュアンスを含んでいます。そして私もそうしたニュアンスの下に文中でこの言葉を使用しました。何故なら、資本主義にはそれが相応しいと思うからです。
資本主義とは秩序ではなく秩序の破壊だと思っています。<まとはずれのおせっかい>さんのお言葉を引用させて頂ければ、“経済の発展と、人の生活、福祉の向上との関連、健全な中産階級の形成ににまるで興味がないということだとおもいます。”もし、“昔の、大企業の経済エリートたち”にそうした配慮があったとすれば、それは、戦後日本の特殊な条件下に於いての事と思います。
西ヨーロッパ発祥の筋金入り資本主義は正真正銘のエゴイズムだと思います。但しそれは、“われわれ、一般人以上に、虚無的で、刹那的な人たち”だとは限りません。エゴイズムが虚無的で刹那的とは限らないからです。日本的倫理観の外に生きる彼等を私達の想像で論じても余り成果は得られないと思います。
また、私の投稿内容に対するご批判として、国際金融資本と軍産複合体との関係が少し荒っぽいとのご指摘がありました。仰るとおりだと思っております。この関係が明瞭であるには、そもそも資本主義と国家の関係が明らかになる必要があります。
ヨーロッパの近代国民国家が産業資本の成長と共に形成されてきた歴史からすれば、その両者が同一の現象の二つの側面であることは想像に難くありません。身近な例で日本の近代国家建設を振り返れば、ある程度頷けるのではないでしょうか。
近代国家と資本主義の歴史的に不可分な関係はまた、関係そのものとしても歴史的に変化するものと考えられます。その変化の今日的段階として、軍産複合体と国際金融資本との関係が説明されるべきでしょう。私の投稿内容がそうした説明を欠いていることはご指摘の通りです。