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(回答先: 上でお返事をくれたすべの方へ、 投稿者 東京音頭 日時 2006 年 7 月 19 日 10:34:59)
>東京音頭さん ご回答ご苦労様です。
まあ、概ね正しいのかな?とも思いますが何点か違和感を感じます。
>【人は、自分が加害者だったことに罪悪感を感じてしか、動かないのでしょうか。】
というのは、どうでしょう?Kは主体は加害者ではなく被害者側にあるのではないかと思っています。
今現在の理論では「被害者側が納得しなければ示談は成立しません。」
加害者側の論理では何事も解決はしないのです。
これは、真理という意味では間違っているのかもしれませんが、「怨む気持ち」というのは被害者側に生ずる気持ちであり、加害者側からは「何も決めつける事はできない」のだろうと思います。
しかし、それを行ったのは「昔の為政者だし、私は反対した人の子孫かもしれない」のだから、何の罪悪感も持つ必要はない。と言うのも理屈です。間違ってはいません。
世界市民というレベルで考えれば、全ての人が過去の世界の子孫であり、これからが大切であり、共に協力して平和を築いていかなければなりません。
その為には被害者の持つ「怨み」を消すという視点を無視するのはどうでしょう。ここで、怨みを無視すると将来に禍根が残ると言う気がします。
「民族主義的な考え方は改めるべきだ」というのは正解なのでしょうが、自分が民族主義から脱却する事で被害者側にも「それを押しつける事」はできないのです。
ですからKは「全ての人の生活を最低ラインに引き上げる事が必要」だろうと思っています。同じスタートラインに一度並んだなら、後は努力の差になっていきます。
今現在、明日の食料の目途も立たない人がいて「それは昔の日本の所為だ」と考えている人がいたとします。Kに言わせれば「怨むのは日本ではなく、政治だろう」と思いますが、相手政府が「失政の非難を回避するために、非難の矛先を日本に向けている」でしょうから、日本が加害者という意識は今現在「存在する」のです。
存在するのなら、それを消し去る方策を考えるべきなのです。
「私は関係ないので、知りません」では済まないのではないでしょうか?