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(回答先: 通貨発行益(シニョリッジ)は調べると人間の歴史が解ります 投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 5 月 02 日 06:06:58)
縄文ビトさん、こんにちわ。早速のレスを有難うございます。ちょっと思いついた事がありますので述べさせて頂きます。先ずは、縄文ビトさんの文章から引用して始めさせて頂きます。
“通貨発行益(シニョリッジ)は確実に理論付けることが出来ます。”
もちろん異存ありません。
“有ると言う論と無いという論の二つ有りますがその中で日銀は無いという論の持ち主ですが私は有るという論を持っています。”
日銀も無いとは言っていないと思います。通貨発行益の形態が古典的なものから変化しているのだと思います。
“有ると言う論に立ったとき、そこから歴史の解明も出来ると考えています。”
同感です。通貨発行益の形態が歴史的に変化して来ている様を説明出来れば面白いでしょう。そこで、ちょっと先走りして思い付きを書いてみます。
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先ず、通貨とはコイン(硬貨)であった時代の話です。コインの材料と鋳造に要する費用を全部併せてもコインの額面より安上がりであれば、コインを鋳造して世間に流通させることによって、材料費+鋳造費用と額面の差額に相当する金額を自動的に手に入れたことになります。此れが通貨発行益ですね。通貨発行益というのがインチキだというのは直ぐに分かります。
ここで問題があるとすれば、コインが流通する時、果たして額面どおりの価値で流通するのかどうかです。インチキがばれなければいいですが、ナカナカそうも行かないでしょう。インチキだと分かれば通貨発行益に当る分は割り引かれて使用されることになるでしょう。つまり通貨発行益は誤魔化しだから、ばれればそんなものは消えてなくなるとも考えられます。
しかし、通貨というのは様々の経済取引を成立させるのに決定的な役割を果たします。通貨として使われるコインが少々怪しげな物でも、取引を成り立たせる為には気付かぬ振りをして使用する場合もあるでしょう。取引に関わる多くの人々がそのように行動した場合、コインは、その発行者に通貨発行益もたらしながら発行され続けることが可能になります。
こうして経済取引を成り立たせることが通貨の重要な機能だとすれば、そうした機能を持つことが通貨の価値の一部と考えることも出来ます。ならば、そうした通貨を鋳造し発行する者が、ある程度の通貨発行益を手にすることは決してインチキではないとの議論も成り立ちます。
しかし、ある程度の通貨発行益とはどの程度なのでしょう。その度合いを理論的に導き出せるという話は聞きません。結局は、実際に流通するかどうかの問題になってしまいそうです。流通するような通貨を発行すれば発行益が手に入り、流通しないような通貨なら、当然、発行益は無いということです。
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さて、話しを現代に移します。今日流通している通貨のほとんどはコインではありません。それどころかお札でさえありません。前回の投稿で確認した通り、今日流通している通貨とはコンピュータ上のデータです。キーをポンと叩くだけで通貨発行が可能です。
しかし、コンピュータ上のデータが流通するとはどういう事でしょうか。コインと違って、人の手から手へと受け渡しされることはあり得ません。データとは物ではなく情報です。この場合、通貨の流通とは情報の流通ということになります。日銀を中枢とする金融機関のコンピュータ内にある電子情報の流れがすなわち通貨の流通そのものです。今日では、そうしたコンピュータによる情報処理に支えられて経済取引が成立しています。
では、通貨発行益はどうなるのでしょう。簡単な事です。発行に懸かる経費はほとんどゼロですから発行された通貨の額がほとんどそのまま発行益になるはずです。ところで、日本銀行の平成16年度決算における経常利益は5,074億円です。(http://www.boj.or.jp/type/release/teiki/kaikei/zaimu/zai0505b.htm)其れに対し、マネタリーベース(日本銀行が供給する通貨、http://www.boj.or.jp/type/exp/stat/exbase.htm)で見る平成16年度中の通貨供給増加額は2兆円ほどです。(http://www.boj.or.jp/type/stat/dlong/fin_stat/boj/cdab0150.csv)つまり、利益の額は供給した通貨額の25%程度となります。他の何かでよほど損をしたのでしょうか。
実は、日銀による通貨発行は貸し出しという形態をとります。発行する通貨を自分で使うのではなく誰かに貸すだけです。貸しただけでは利益になりませんね。貸した金に対する利息を受け取って初めて利益になります。当然、利益の額は利息の額であって貸した金の額ではありません。もちろん貸す為の通貨はコンピュータのキーを叩いて作った元手いらずのお金ですから、利息だけを濡れ手に泡で懐にするのです。今日の通貨発行益とは利息だという事になります。
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此処で疑問が生じます。通貨発行益と利息とは本来別のもののはずです。別のものが何故同じになったのでしょうか。
理由は、通貨の形態が変化した事でしょう。通貨の重要な機能が経済取引を成り立たせる事であり、そうした機能が通貨発行益を可能にしたのでした。主としてコインがそうした機能を担う時代には、先に述べたような形態の通貨発行益が発行者の懐に転がり込んだのです。しかし、現代の主要な通貨はコインではありません。電子情報です。通貨発行益の形態が変化しても不思議はありません。
とは言え、何故今日の通貨発行益は利息という形態を取るのでしょうか。考えられる答えは、そもそも利息とは形を変えた通貨発行益なのだという事です。経済取引としての金銭貸借に於いて、金を借りた方はそのお金を有効活用して金儲けをします。つまり、自分が望む経済取引が可能になります。経済取引を可能にしたお金は、貸主によってもたらされました。借主にとって使用可能な通貨が貸主によってもたらされたのですから、ミクロ的に通貨発行が行なわれたと考えても構わないでしょう。借主は、借りた金に加えて儲けの一部を貸主に支払います。貸主としては、事後的に通貨発行益を手にしたのです。
以上、いかにもこじつけ的な説明ですが、そもそも利息というもの自体がこじつけではないでしょうか。借りたお金に利息を支払うという事は、それほど当然の事でしょうか。利息ではなく、お礼の言葉ではダメなのでしょうか。感謝のディナーにご招待という手もあるでしょう。いや、利息を支払うのが当然だとしても、その場合の利率は一体どれくらいが適当なのでしょうか。確かな根拠が見出せるのでしょうか。結局、金融市場における需給関係で決まるとしか言えないでしょう。なんでも市場のせいにして済ませるのであれば、理論など不要です。
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取り敢えずの思いつきを書いてみました。如何でしょう。興味を持って頂ければ幸です。
尚、今の日本にも5百円玉などの硬貨(コイン)が流通しています。硬貨の発行は日銀ではなく国(鋳造は独立行政法人造幣局)が行なっており(http://www.boj.or.jp/type/exp/seisaku/expcurrency.htm)、鋳造した硬貨は額面価格で日銀に交付されます。この場合は、古典的な通貨発行益が国に入ることになります。
2006年4月に於ける硬貨発行の平均残高は4兆4,619億円となっています(http://www.boj.or.jp/type/stat/boj_stat/mb/base0604.htm)。紙幣の74兆3,547億円に較べれば16分の1程度です。マネタリーベース全体(103兆5,779億円)と比較すれば、4.3%程度となります。