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(回答先: それなのに客観性? 投稿者 kokopon 日時 2006 年 4 月 05 日 17:54:51)
kokoponさん読ませていただきました。本当にkokoponさんのおっしゃる通りです。
そこには唯物論弁証法があると考えます。肯定されたものもやがて否定される。否定された時そのものがその時点では肯定されたものとして残る。そこには螺旋形を描き否定・肯定を繰り返しながら真実もしくは真理に近づいていく。鶏が先か卵が先かという事例が数十年前に弁証法とは何かという読んだ本の中にありましたが。私自身忘れていたのだと考えます。
>四足歩行する家族"― 逆進化説を巡って議論に
http://x51.org/x/06/03/0123.php
読んでみて思ったのですが、単なる遺伝的病気の一つではないかという気がいたします。この間もテレビで急速に老人化していく少女の放映をしていましたがまだ解らない分野が数多くある気がいたします。
それから人間が現在でも進化しているのかということでは、私なりに考えますと、進化を止めていると考えています。それは他の動物に無い面として人間は医療という面を発達させたということです。本来は自然界の中では生きられない者を医療が救ってしまう、これが人間だといえるのではないでしょうか。ただそのことによって最終的には目に見えないウイルス(彼等は進化している)にやられてしまう。
そこでウイルスに対し抵抗力を持った少数の人間がこの地球上に生き残り、廃墟と化したビル街を横目で見、文明・文化を忘れた中で食するために農耕をする。そこには交通機関も瓦礫の下に埋もれ、当然技術者も、燃料となる原油を掘る者もいなく、発電する者もなく明るさとしての電気もない。自然だけがあいての生き方をするしか方法が無い。その中で何百年かの時が流れ、より廃墟と化したビル街を眺め彼等は何を感じるのであろうか。現代風に言えば考古学として過去の遺物から生き方を探っているのとなんら代わりが無いという気がいたします。