★阿修羅♪ > 議論23 > 164.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 我とは何かU 投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 3 月 26 日 14:04:22)
縄文ビトさんは、言いました。
その胎児は母親のお腹の中では、まだ何の知識も持ち合わせていませんし、何の認識もしていません。しかしお腹の中で自分なりの活動をします。つまり足を動かし母親の腹を蹴飛ばすという行動をです。それは知識以前の、認識以前の「我」という自我がそこにあるからです、彼はやがてこの社会に出生してきます、そして生きるための行動「我」が行動を起こさせます、母親の乳房から父を吸うこと。それは誰に命令されたのではなく既に知識・認識以前の「我」がそこに芽生えているからに過ぎません。その「我」がやがて母なり父なり、周りにいる人達から知識を受け取り、その知識を基に自分なりの外界に対する認識(個性)をしていくわけです。
Hume なら、大雑把に、これらを、”経験する体”、と言うでしょう。
そして、”足を動かし母親の腹を蹴飛ばす”仕組みと、その仕組みをつくることを、観察、解明する時代でしょうと、言うでしょう。解明とは、退治の、ある状態を観測できれば、次に、退治がどのような行動をするか、どのような状態になるかを、言えるようになることです。
さらに、”母親の乳房から父を吸うこと。それは誰に命令されたのではなく・・・”を起こさせる体の構成と、それを駆動する現象を、臓器の機能と、それらを統合した働きとして、解明することでしょう。
こうした解明に、”我”を持ってきても、何の説明にもなりませんよね。”卵”を、”egg”と言いかえるようなことですからね。