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>哲学者たちが、”我”を、さまざまに、論じている。
>しかし、Hume が、”我”については、語り尽くしたと、考えている哲学者も、多くいる。
>Hume は、言う。
>経験のシーケンス、それらの集大成、そして、経験する体、これら以外に、”我”は、無い。どこを見ても、どこを突っついても、”我”と問われて、これら以外を言うことはできない。であれば、”我”は、経験する体と、経験の集大成、ということになる。?
我とは何か、Humeの言っていることは間違っています。
これからなぜ間違いかを説明いらします。母親のお腹の中にいる胎児を考えてください。
その胎児は母親のお腹の中では、まだ何の知識も持ち合わせていませんし、何の認識もしていません。しかしお腹の中で自分なりの活動をします。つまり足を動かし母親の腹を蹴飛ばすという行動をです。それは知識以前の、認識以前の「我」という自我がそこにあるからです、彼はやがてこの社会に出生してきます、そして生きるための行動「我」が行動を起こさせます、母親の乳房から父を吸うこと。それは誰に命令されたのではなく既に知識・認識以前の「我」がそこに芽生えているからに過ぎません。その「我」がやがて母なり父なり、周りにいる人達から知識を受け取り、その知識を基に自分なりの外界に対する認識(個性)をしていくわけです。
外人の言うことは正しいと思い込んでいるのではないですか。
これは人間だけに限った事ではありません。全ての生物に通じることです。