★阿修羅♪ > 議論23 > 110.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 真の探求者は必ず「神」に辿りついてしまう 投稿者 膝枕 日時 2006 年 3 月 14 日 14:04:31)
こういう場所に足を踏み入れると、皆さんの博学さに、また言葉の認識と使い方の正確さに、さらに自分の考えを言葉にして議論する能力に、正直ビビリます。数行の文章を書き込むにも、オドオドしてしまいます。
わたしのように無知な人間は、とにかく、皆さんのような方たちに囲まれると、ついついただただ付いていきたくなってしまいます。バカな私は、自分を空しくして、立派な人の言葉に従っているほうが、正しい道を歩めるのだと思い込んでしまうのです。
けれど・・・お金持ちが幸せになり難いという言葉(聖書かな)があるように、知性において優っている者が、真理により早く近づけるというものでもないような気がします。
知識のあるものはその知識をふんだんに使い、考察力のあるものはその能力をもれなく発揮し、直観力のあるものはその直観力をフルに活かして、自分なりに努力すべきなのは当然ですが、あくまでも基本は、最もシンプルな一つの存在としての自分を頼りにしたいと思っています。すると、愚かで小さな私でも、自分なりの真理の探究の道が示され、自分よりハルカに大きな人たちの存在も、自分を飲み込むものではなく、素晴らしい刺激の一つとして受け入れられる気がします。
そんな私にとって「神」というものを考えるとき、もっとも困る部分が「意志」の存在です。「神」という言葉に限定すれば「人格神」の捕らえ方に迷うということなのですが、みなさんがよく話されている数々の謀略なども、ある種の「意志」の働きのお話のような気がします。進化論なども、意志の要素を加えて理解するのと、全く排除して理解するのとでは、様相が逆転してしまうように感じます。わたしから、科学に最も期待するのは、この「意志」についでの議論であったりします。一笑に付されてしまうでしょうか。