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(回答先: Re: 物理定数と神の存在 投稿者 蝋梅 日時 2006 年 3 月 14 日 13:34:32)
こんにちわ
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自らの力で真実を探求し続ける科学者は、常に現時点での科学の限界、自らの限界を意識しているように見えます。そこに、はっきりと「神」というものを持ち出すか、持ち出さないかと別にしても、今の自分には説明できないもの、そして理解できないことがあると認める勇気を持っているように思えます。
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科学に限らず、この世のすべての領域について深く探求しその深淵を覗いた人という者はほとんど例外なしに「神」という存在、概念を無視できなくなる。このことは著名な探求者の自書のどこかに必ずといってよいほど記載されている。逆に言えば、「神なんてアホクサ」などという態度をしているような自称研究者などは深淵の入り口程度しか覗いていないというだけなのでしょう。
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が、かといって、彼らは自分自身の追及を諦めてしまったりはしません。永遠に分からないであろうこと、新しく得た答えが、常に次の新しい問いを連れてくることを承知しつつ、なお挑み続けるという、さらなる勇気を有していると・・・期待しています
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「新しく得た答えが常に次の問いを連れて来る」というのは確かなんですが、問題は新たに生まれる「問い」が増えてゆくということ。つまり知れば知るほど「未知」が増える。しかしこの「未知なる新たな問い」というものは分からないから無駄というものではなく至宝に通ずる扉のようなものであって、その扉の向こうを覗いてみたくなる。こういう苦しみなどはむしろ快感というか「かっぱえびせん」なんでしょう。
・・・と、こういうことは分かっているのですが、悲しいかなそういう苦しみには疎遠というお粗末さ(笑)、深淵を覗けるものなら覗いてみたと思う今日この頃です。