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(回答先: 「ナショナリズム」は、『国家群を縦走する別次元の国家』に対する視点を欠くため虚構にならざるを得ない 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 8 月 27 日 20:07:24)
人類は生まれた時から国籍という烙印を押される。
そしてその国籍にプライドを持つように強制される。
ケネディは言った「国が何をしてくれるかではなく国に対して何ができるかを考えよう。」と。
これが人間を国に呪縛する洗脳の言葉だ。
「そうだ。自分の国の為に何かをする為に生まれてきたのだ。」
と勘違いする。
そうでなければこの生の目的は何?と。
人は意味なしでは生きにくいらしい。
ただ生きているだけでは退屈で耐えられないらしい。
自国のサッカーチームがワールドカップで勝つかどうかに何故あそこまで熱心になれるのか?
他に生きる目的など無いからだ。
自国の領土がどこまであるかは重大な国益問題であり竹島に対する韓国の主張は我慢ができない。
かくて領土をめぐって殺し合いをする。
命よりも国境線の位置の方が大事なのか?
何故?
領土が大きければ自分の生活は豊かになるか?
関係ない。
ロシアの漁師が蟹を採ったら日本に売るだろう。
命がけで蟹を採る必要はない。
世界を牛耳る人々は考えた。
人類を国に縛り付けいがみ合わせたら目の前の敵に目を奪われて世界を牛耳っている我々の方にまで目が届かないだろうと。
いや、仮に見えていたとしても目の前の敵との戦いで精一杯でリングの外でやんやの喝采でけしかけている我々にパンチの1つも撃つ事はできないだろうと。
我々人類は闘技場で殺し合いをさせられている闘士だ。
国なる空虚なものの為に。
せめてここが闘技場である事に気がつこう。
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