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(回答先: 世界史を学ぶ前に覚えておいて欲しいことは 【テッサ先生の補修授業1時間目】 投稿者 hou 日時 2006 年 8 月 27 日 10:23:06)
「ナショナリズム」は、『国家群を縦走する別次元の国家』に対する視点を欠くため虚構にならざるを得ない
この漫画をフルに使った「ソフィア先生」シリーズはなかなか興味深いものです。私も時々拝見しています。このサイトの主催者は自らネオ・ナチを明らかにしているようですが、別にその点を取り上げて反発する気はありません。いわゆる「ナショナリズム」を突き詰めていけば自然と同様の視点になるからです。
●歴史を「現代史」から見ていく視点は非常に正しいものだと思います。古代から順番に暗記していく日本の歴史学習の方法論は逆に「歴史から何を学ぶのか」という最も大切な課題を台無しにしてしまうだけでしょう。神武天皇から順番に「万世一系」の家系図を丸暗記させられた以前の皇国史観教育など最悪の部類といえます。
参考までに欧米の学校での歴史学習を少しだけ申し上げます。古代史や中世史は小学校、せいぜい中学校の前半までで終り、それ以降はすべて産業革命、フランス革命以後の近代史に集中します。例えば英国で16歳に受験しなければならないGCSEという統一試験があるのですが、その出題範囲の中心は19世紀後半から第1次、第2次世界大戦の時期を中心にした近代・現代史であり、17世紀以前の事柄はまず出題されません。また「世界史、英国史」といった授業の区別も有りません。すべてまとめて「歴史History」です。これに関してはスペインでも同様です。米国では学年によって「米国史」「世界史」に分かれていて、米国史は必然的に近代以降になり、世界史でもやはり最も時間とエネルギーをかけるのが近代以降になるようです。
世界史・自国史が別の分野として、しかも古代史から現代史まで平等に、大学入試にまで出されるのは、いわゆる「西側世界」の中では日本くらいのものでしょう。(日本が「西」というのもケッタイな話ですが。)
また勉強方法にしても、英国では、我々から見ると非常に面白い方法を採っているようです。年代順にやらない。学校の授業が、ある月では第2次大戦をやっていたかと思うと、次の月にはフランス革命、次には米国の黒人解放運動をやっている、といった具合で、年表に沿って出来事を覚える、というのではなく、それぞれのテーマで資料を分析してどのようにその時代とその地域の状況を理解するか、という方法論の習得に力を注いでいるようです。
また、全体的には英国の教室ではやはりナチス・ドイツと米国の悪口(と見えるもの)が豊富に採り上げられるようで、興味深く感じます。教師にもよるでしょうが、米国の悪口を言うことに生きがいを感じている人とか、ナチスを悪魔化することしか頭に無い人とか、いるようです。スペインでも学校の先生に米国の悪口を言わせたらいくらでも出てきます。しかしこれはお互いに同じでしょう。後ろ暗いことをやっていない国など存在しませんから。確かに『どの馬鹿が一番マシか?』という視点も当たっていると思います。
「良い・悪い」は別にして、この現状は知っておくべきでしょう。
●さて、私はユダヤ=シオニズムとナチズム・ファシズムは「近代欧州に生まれた双子の兄弟」であると思っています。思想的に言えばどちらも等しく「ナショナリズム」を突き詰めたものです。成り立ちと関係から言えば、はっきり言って「尋常ならざる協力関係」にあったと思っています。ではその「両親」は、「産婆役」は、となりますと、話が非常に長くなるので、ここでは省略します。
ただ、この「ソフィア先生」「テッサ先生」のシリーズで語られていることについて、これは致命的な欠陥だ、と感じた点について少しだけ述べてみたいと思います。
●まず、ユダヤ人作家であるイズラエル・シャミールの文章から引用します。
http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/298.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 7 月 09 日 19:31:15
『米国:あるユダヤ国家』(イズラエル・シャミール著)全文和訳、第2回
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【引用開始、前略】
「ユダヤ民族("the Jewish People")」(あるいはユダヤJewry、またはユダヤ人The Jews)として知られる共同体的実体の存在自体がたびたび否定される。200年ほど前にはユダヤ(Jewry)はフランスや教会と同じくらいに明確な形で存在していた。我々の先祖はこの超地上的な国家のメンバーだったのだ。それは一つの権威主義的な擬似犯罪集団(semi-criminal order)であり、富豪やラビたちによって運営されていた。その指導部であるKahal(ヘブライ語で共同体)が重要な決定を行い、普通のユダヤ人(Jews)は彼らの指示に従った。その指導部は、ちょうどあらゆる封建領主がそうだったように、ユダヤ人の生命と財産を奪い取ることができた。ゲットーの壁の中には意見の自由は存在しなかった。反抗的なユダヤ人は死をもって罰せられた。解放の時代がやってきたとき、Kahalの権力は内と外から打ち破られた。ユダヤ人たちは自由になりそれぞれの国で国民となったのだ。
現在、ヨセフを知らない新しい世代のユダヤ人が現れてきている。長年の言い訳がましい洗脳によって、彼らは、どうして我々の父祖たちがユダヤ共同体の鉄の壁を破りたいと望んだのかの理由を忘れさせられた。ユダヤの概念(the notion of Jewry)は未解決の点となっている。我々ユダヤ人(Jews)の子孫は、我々が住む国の国民なのか、それともユダヤ族(the Jewish People)の国民なのか? 「ユダヤ(Jewry)」はあらゆる国家が存在するのと同様に存在しているのか、あるいは単に言葉のあやに過ぎないのか?
ここにパラドクスがある。ユダヤ人の(Jewish)指導者はユダヤ(Jewry)をステルス・ジェット機のようであるように望んでいる。あるときあなたはそれを見るが次の瞬間には見えない。爆撃を受けるときにどこにも高射砲は無い。彼らは言う。「それはヒトラーが言ったことだ」、あるいは「それはあの偽書であるユダヤ長老の議定書の作者が発明したものだ」と。そして彼らはイスラエルの建国宣言にもまたそれが書かれていることを言い忘れる。イスラエルは実際に「ユダヤ民族の国家(the State of the Jewish People)」として描かれている。そしてそれが、目に見える(そして国境線に囲まれた領地を持つ)ユダヤ(Jewry)の部分として不相応な注意と影響を引き付けている理由なのだ。それが、テル・アヴィヴの大使としての地位が各国の外交官としてのキャリアにとって最も高く最も望ましいものであることの理由となっている。「ユダヤ民族(the Jewish People)」というコンセプトは国際法の中でユニークな認識を受けた。それはユダヤ民族(the Jewish People)が1950年と1991年に、現在のドイツによって遺言の無いユダヤ人たちの残余資産の受取人であると宣言されたときだった。イスラエルの刑法は、ユダヤ人個人、その健康、生命、財産および尊厳に敵対する行為を行った地球上に住むあらゆる人間を裁いて罰することを許可している。たとえそのユダヤ人がイスラエル国家と何らの関係も持たない場合でも同様である。
我々は解放された世代のユダヤ人の両親を持つ者達だが、その我々が誰よりも驚いている。ユダヤ(Jewry)の奇跡的な復活に対して何の準備も無かったのだ。つい最近にそれは消え去ったばかり、実際に死刑を宣告されて、そして我々は自らを自由な人間と見なすようになったばかりなのだ。我々の生きている時代に、物事は根本的に変わってしまった。現在、我々はこの実体に忠実であることを宣言するように呼びかけられている。あるいは追放と屈辱、またはもっと悪い運命に悩むのか、である。ユダヤ(Jewry:どうかこの言葉を数百万人の中世ユダヤ人の子孫と混同しないでもらいたいのだが)は世界政治にその場を回復させ、唯一の超権力である米国の精神を征服したのである。
【後略、引用終り】
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この「ユダヤ(Jewry)」というのは、世界と歴史を認識する場合に非常に重要なファクターとなるように思います。つまりそれが地図上の「国家」ではなく、もうひとつの「国家」、「国家の内なる国家」であると同時に、「地図上の国家群を縦走する、国家の外なる国家」を形作るものだからです。それは宗教と血とカネで一つにまとまり、各国家の内部にあると同時に各国家をつなぐ形で実体として強力に存在するものです。(シャミールによると、近代世界の中でいったんは滅びたように見えたものがシオニズムを軸に再び形成された、ということになります。)
●似たようなものにバチカンなどの宗教共同体があるでしょう。バチカンはそもそもが西ローマ帝国であり、西ローマが地図上では滅びた後も各国家の内と外を縦走する形で強力に存在し続けているものです。確かにほんの短い間だけフランスがその頭(アビニヨンの教皇庁)を支配していた時期がありますが、それでも単に頭の先っちょに過ぎず、実態は西欧社会全体を貫く「超国家の権力」として延々とあり続けています。
欧州の貴族や王室の「高貴な血のネットワーク」もまた同様です。これは単に「アナクロニズム」として脇に置いておけるような生易しい代物ではありません。現在では「高貴な血=青い血」に資本という血が輸血されて欧州全体に網をかぶせるように支配しているからです。この「高貴な血のネットワーク」にとっては、国の違いも民族の違いも宗教の違いも言語の違いも、全く存在しません。例えば現在のスペイン国王はブルボン家とはいうものの、英国ヴィクトリア女王とドイツのバッテンベルグ公爵家、フランス・ナポリ家の血を引き、そして王妃はギリシャ王女です。
中国に関しても、確かに東アジアに拠点となる地域と文明が、王朝の交代はあっても存在し続けました。しかしもう一方で、世界にまたがる人脈の網を持っています。現在の世界で中国人が住んでいないのは南極大陸くらいのものでしょう。もちろん欧州にも大勢住んでおり、スペインのど田舎の小さな町にも中華料理屋があります。それらが中枢神経の分散した巨大な生き物のように、様々な糸でしっかりとつながっています。中国にはアジア大陸にある国家としての顔のほかに『国家群を縦走する別次元の国家』というもう一つの面が存在します。中国人とユダヤ人はある意味で非常に似ているところがありますが、やはりこういった実体を持っている点からではないか、と思います。この点を勘定に入れないと、中国という近隣の国すら理解できないでしょう。
幸か不幸か、日本人はこのような地図上の国家を超える実体を持つことに、歴史的に失敗したように思えます。だからますます理解されにくいのでしょう。
●このような勢力にとって、地図上の国家と国家群は単なる「駒」に過ぎず、我々のように地図上の国家に縛られて生きざるを得ない下っ端のペエペエとはまるで異なる視点から世界を眺めています。しかしそんな我々「土民・百姓」にとって、歴史、特に現代史を考える際に、2次元平面に描かれた地図でしか国家や民族を見ることができない場合、完全に誤った判断しかできず虚構に陥らざるを得ないでしょう。実際には3次元、あるいは4次元以上の存在が相手なのです。
この「ソフィア先生」「テッサ先生」のシリーズに貫かれている視点には、一面では非常に正しいのですが、読む者を『国家の中と外を結びつけ、国家群を縦走する別次元の国家』の存在を意識させなくしてしまう、致命的な欠陥があるように思います。たしかに『立体感覚』に乏しい人々にとっては非常にわかりやすいのでしょうが、それは結局は虚構に導くのみだと感じます。
●面白いことがあります。以上述べたことを強調すると、特に「ユダヤ(Jewry)」について突っ込み始めると、途端に「陰謀論者!=ネオ・ナチ!」という声がどこかから飛んできます。(特に欧州では。)ところが、見るからに「ネオ・ナチ」を標榜しているこの「ソフィア先生」「テッサ先生」のシリーズでも、やはり『国家の中と外を結びつけ、国家群を縦走する別次元の国家』に対する視点を欠いている、少なくとも読む者をそこから引き離そうとしているように感じます。これは一体どういうことでしょうか?
私のようなユダヤ=シオニズムとナチズム・ファシズムを「一家族」、つまり「お互いに補完し合う仲」と見なす視点からでは、これは明らかなことなのですが、一見して最も対立して見えるものほど案外と「近い仲」だったりします。まあ、このような活動を熱心にやっている人々のことを考えて、『ナショナリズムの限界』とでも申し上げておきましょう。
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