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(回答先: 鎌倉宮は、大塔宮(おおとうのみや) 護良親王(もりながしんのう)をお祀りするお宮(神社)です。 投稿者 愚民党 日時 2006 年 8 月 19 日 02:15:20)
湊川神社(みなとがわじんじゃ)は1872(明治(めいじ)5)年、明治天皇(めいじてんのう)によってたてられたもので、楠木正成(くすのきまさしげ)やその子どもの正行(まさつら)をふくめて17名がまつられています。
楠木正成は、1336(延元元(えんげんがん))年、湊川の戦い(みなとがわのたたかい)で足利尊氏(あしかがたかうじ)にやぶれ、今の湊川神社でなくなったといわれています。
正成の墓(はか)は、もとはこの近くの畑の中の小さな塚(つか)(土を高くもった墓)だったのですが、のちに水戸黄門(みとこうもん)としてよくしられている徳川光圀(とくがわみつくに)によって書かれた八文字をきざんだ石の碑(ひ)(石に文などをきざんでたてたもの)がたてられました。
それが、「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」で、光圀は実さいには神戸にはきていませんが、1692(元禄(げんろく)5)年、助(すけ)さんとして知られている佐々(ささ)介三郎(すけさぶろう)宗淳(むねあつ)がこの湊川にやってきて、碑をたてるための工事のかんとくをしました。
またこの碑の横には、1955(昭和(しょうわ)30)年に徳川光圀の銅像(どうぞう)もたてられました。
湊川神社のある場所の「多聞通(たもんどおり)」や、近くの「橘通(たちばなどおり)」、「楠町(くすのきちょう)」は楠木正成にかんけいのあることからつけられた地名です。
また、湊川神社のことも神戸の人は「楠公(なんこう)(楠木正成のこと)さん」と親しみをこめてよんでいます。
http://kouhou.city.kobe.jp/kids/data/kb/kb06/kb06001.htm
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