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(回答先: 第3回 英国の軍拡の投げた波紋 -生産活動再び上昇- 【大阪朝日新聞/ 昭和14年】 投稿者 hou 日時 2006 年 8 月 06 日 01:15:24)
(4) 再軍備を枢軸に軍需、民需品の鋏状差が拡大
●ドイツ
強力な武力を背景に
疾風迅雷の早業をもって敢行された
1938年(昭和13年)3月の独墺合併以来、
1938年(昭和13年)9月のズデーテン合併は、
1939年(昭和14年)3月のチェッコスロヴァキヤ全体の併合
メーメルの回収などと矢継ぎ早に断行された
ドイツの中欧進出、これと相呼応して
●イタリア
ローマよりはコルシカ、チュニス、ジプチなどのイタリヤの要求の声が聞える。
1939年(昭和14年)4月には遂いイタリヤ軍が
アルバニヤを占拠している。
かくて欧洲の政局は一触即発の危機を孕みつついま微妙な動きを続けているのであるが、このベルリン・ローマ枢軸による最近にいたるまでのヴェルサイユ体制是止に対する成功は【空軍優位】を主とする強大な武力を背景として獲得されたものであった。
英仏その他の民主主義諸国は涙をのんで
このベルリン・ローマ枢軸の奔放不調な進出を眺めたのであるが、これらの諸国もただ単に袖手して独伊の制霸を傍観しているのではないのだ。
外交においてはアメリカに呼びかけその援助を求めるとともに、欧洲においては対ソ同盟の獲得に努力するかたわら、ボーランド、ルーマニヤ、ギリシヤ、トルコに独立保障を与え、独伊包園陣の結成に大童の努力を続けているのである。
国内的にはまた急速にその戦時体制を整備するとともに、尨大な既定の軍拡計昼をさらに拡充し、国力のすべてを動員して独伊の軍備に追いつくべく必死の努力を続けている。
去る2月15日、サイモン英蔵相は白書をもって
1939‐40年度(昭和14年―15年)のイギリス国防予算を発表したがそれと同時に
「政府は総予算15億ポンドをもって1937年(昭和12年)度より再軍備五ケ年計画を実行しているのであるが、39‐40年(昭和14年ー15年)の第三年度において12億5000万ポンドを□消することが明瞭となった。したがって五ケ年計画の完成のためには当初に予定した15億ポンドをはるかに突破する尨大な国防費が必要であることは確実である……」
と述べ、五ケ年計画で予定された公債発行額の4億ポンドを8億ポンドに増額することを要求している。
この軍拡計画の拡大強化とともに、国内戦時体制の整備として国民登録制の実施、英本国土地区別防衛計画の樹立、軍需省の設立、徴兵制度の採用等、イギリスとして平和時にかつてみざる画期的な諸方策を断行したのだ。
フランスもまた急進社会党ダラディエ内閣は人民戦線を清算し「ブルームの実験」で有名なフランス経済の□、労働四十時間制を克服し、
1939年(昭和14年)3月19日にはフランスで全く前代未聞といわれる国防全権を議会に要求し、その獲得に成功して遂に全面的に非常時体制の樹立に着手するにいたったのである。ダラディエ内閣がこの国防全権によって着手せんとしている戦時施設は、
軍需関係‐
1.軍需工業の最大限操業軍需品注文の優先権、
2.専門技術家および予備専門将校召集、
3.軍需予備品の増加、
4.同外国よりの購入、
5.軍組織の再編成強化、
6.国防の増強。
経済社会関係‐
1.四十時間労働の改訂、
2.私設工場に対する注文品納入遅延の是正、
3.工場人員の増加
財政関係‐
1.軍需工場に対する政府補助の増額、
2.軍隊装備改善のため特別会計設置、
3.軍事予算支出につき特別便宣を賦与。
政治関係‐
1.軍機漏洩厳罰、
2.流□□語の取締および外国人取締の強化、
3.現下院議員任期延長。
などである。
かくの如き英仏の全面的軍拡強化を反映して、欧洲諸国の経済界は、エコノミストの指摘しているが如くいまや全く軍拡の支配するところとなっているが
1938年(昭和13年)6月よりの世界景気の回復には、
ルーズヴェルト米大統領が
1937年(昭和12年)秋よりの世界経済の恐慌的□展に驚き、
いわゆる「ポンプの誘い水」として
1938年(昭和13年)4月の特別教書を転期として
次の如き手段で70億ドルの資金撒布に乗出し、
財政インフレを中心としてアメリカが
再びインフレ政策に転向したのが、
列□□軍備の白熱化とともにいま一つの支配的な要因であったことは否定し得ない。
(単位百万弗)
1939年(昭和14年)度追加予算=3、032、
銀行融資力増加=2、150
(不活動資金開放、連邦準備加盟銀行準備率引下げ)、
購買力増進を目的とする新規公共事業=912、
その他の公共事業=1、000、
総計=7、094。
かくして世界はいま工業生産の関する限り、稀にみる活況を呈しているのであるが、
一たび目を農業生産諸国に転じるとき、
世界経済はまだ強烈な恐慌の発展過程のうちにあるのだ。
エコノミスト調査にかかる世界主要原料商品の過去二ケ年にわたる価格指数は次のごとき動きを辿っている。(一九二七年=一〇〇)
[図表あり 省略]
上表にれば
1938年(昭和13年)全体を通じて世界主要原料生産の価格は一斉に漸落歩を辿り、
軍需生産の原料である鉱産物‐同生産の価格は
1938年(昭和13年)6月よりの世界工業生産の好転を反映して、同じく
1938年(昭和13年)6月の91・2を底として漸騰傾向に転じている‐
を除いて引続き低落過程を続けているのだ。
農業生産諸国の景気の支柱である
小麦および棉花の本年度における需給関係をみるに、
1939年度(昭和14年)の全世界小麦収穫予想は41億1800万ブッシェルで、
好収穫に恵まれた
1938年度(昭和13年)より2億9200万ブッシェル(7・6%)多く、
現在までの世界最高収穫記録である
1928年(昭和3年)の39億9600万ブッシェルを
1億2200万ブッシェル余り上廻る結果となっている。
一方、棉花の需給関係をみるに
37‐38年(昭和12年―13年)
のアメリカ棉実収高はアメリカ農務省の発表によると
1800万俵であったのに対し、
1938年(昭和13年)12月8日の
38‐39年(昭和13年―14年)最終収穫予想によれば
1200万俵に減少している。
印棉もまた540万俵より470万俵(第三回予想)に減少し、
エジプト棉もまた1100万カンターから720万カンター(第二同予想)に急減退が予想されている。
これらを総合して
38‐39年(昭和13年―14年)の世界棉花産を予想するに2780万俵となり、
前年の3700に比し25%の急減退となっている。
しかしながらこの甚だしい収穫予想減にもかかわらず
棉花相場はそれほどの改善をみず、市況は著るしく
逆鞘を呈し先行は極めて不安な状態にあるのだ。
これはいうまでもなく今後における棉花の消費不振が予想され、ストックが漸増傾向を辿っているからだ。
1938年(昭和13年)11月に行われたアメリカ農務省による
世界棉花の需給推算は、消費方面において前季の2600万俵よりかなりの減少を予定している。
●恐慌と軍拡による世界全般の購買力の減退●は、かくの如く世界の農産市価崩落の上によく現われている。
列強再軍備を枢軸として、世界経済は一応表面的に恐慌を克服した形だ。
しかしながら、その基調には以上述べ来ったごとく工業生産と農業生産の根強い跛行状態が引続き存在しているのである。(つづく)
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