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(回答先: 第2回 持たぬ国の軍拡 世界経済との関連を稀薄化 【大阪朝日新聞/ 昭和14年】 投稿者 hou 日時 2006 年 8 月 06 日 00:31:39)
(3) 英国の軍拡の投げた波紋 生産活動再び上昇
次に為替管理の制肘もなく、世界の物資を自由に利用し得る
英米仏の民主主義諸国の軍拡が、
世界経済にいかなる影響をもたらしたかをみることにする。
イギリスが再軍備着手を決竜したのは
1935年(昭和10年)であった。
1935年(昭和10年)の夏、
イタリヤがいよいよエチオピヤ征服の戦争を開始したとき、
地中海の航通路確保に多大の関心を有する
イギリスは艦隊をスエズに集結してイタリヤを威嚇した。
だが、このロンドンの威嚇はイタリヤ空軍の優位の前にはかなくも挫折し
ムソリーニ首相は平然として軍隊をエチオピヤに送り続けたのである。
かくて軍備に重大欠陥を感じたイギリスは再軍備の必要を痛感し、
1935年(昭和10年)10月の総選挙にその断行か否やを国民に問い
挙国的な支持を確保したのであった。
しかしながら、イギリスはまだ国際紛争を平和的手段で解決することに多分に未練を残していたのであろうか。
1936年(昭和11年)全般を通じてイギリスの再武装はまだ甚だしく熱意の欠くるものがあった。
イギリスが遂に本腰をいれて、本格的の再軍備に着手したのはすでに述べた如く
1937年(昭和12年)2月に15億ポンドの国防五ケ年計画を発表してからである。
この計画の発表を一つの転機として世界経済は列強再軍備の影響を次第に大きく全面的に感じ始めた。
国際連盟の
37‐38年(昭和12年―13年)『世界経済慨観』
はこのごろの世界経済の動きについて次のごとく記述している
『1936年(昭和11年)第四四半期から1937年(昭和12年)の第一四半期にかけて、主要商品の価格は急速に昂騰した。この価格昂騰は根強い工業需要の増大と、その需要増加が相当期間継続し、この需要増加に対して主要商品の生産が到底追いつき得ないであろうとの期待に本づくものであった。この傾向は1937年(昭和12年)2月にイギリス政府が五ケ年15億ポンドの軍拡計画を発表し更に一段と拍車づけられたのである……』
1936年(昭和11年)下期より37年の春にかけての世界景気の好転には、
各種の要因があったことであろう。
1936年(昭和11年)9月におけるフランスの平価切下げ
‐このことはフランの平価切下げ‐を是正し、
世界恐慌における国際金融市場の最後の癌を克服したことを意味している
‐主要諸国景気煽揚策の奏功、
または恐慌以来既に8ケ年を経過し世界の生産諸関係が
一応均衡を回復しつつあったことなどその主要な要因として見逃し得ない。
しかしながらまた当時、
全体主義諸国の軍拡に対して
イギリスを主力とする民主主義諸国の、これに対抗する本格的な再武装を期待し、
主要商品の仮需要が世界的に大規模に行はれつつあったことも否定し得ない。
この事実は
1937年(昭和12年)9月のアメリカ株式の瓦落を契機として破局的に襲い来った
主要商品の価格崩落、およびその後における世界景気の動きは大体次表のごとくであった
(指数いずれも一九二九年=一〇〇)
[図表あり 省略]
国際連盟の「世界経済概観」は
この1937年(昭和12年)秋に勃発した世界の生産恐慌につき
「この商品価格崩落の基調によこたわる主要な原因は需要増加の期待が余り大きも過ぎたからだ。しかし、より直接的な原因はルーズヴェルト米大統領が物価が不当に昂騰し過ぎたと言明したことにより、一般にアメリカ政府が高物価抑制のため金の買上げ価格を引下げるのではないかとの予想が台頭したことである。またイギリス政府が軍需工業の超過利潤に対して特別税を課する旨を発表したのがその直接原因であった」
と述べている。
上表により明示されている如く
1936年(昭和11年)第四四半期より好調を続けた世界景気は、
1937年(昭和12年)9月のアメリカ株式の瓦落を契磯として急激に悪化した。
1937年(昭和12年)9月に126を維持していたアメリカ工業株式平均指数は
1937年(昭和12年)12月は95に激落し、
これを反映して
●世界の工業生産指数も
1937年(昭和12年)9月の103・8より
1937年(昭和12年)12月には89・1に後退し、
●貿易数量もまた
1937年(昭和12年)12月の100・4を峠として
1938年(昭和13年)の3月には88・2に急減退を演じたのである。
この1937年(昭和12年)9月より
1938年(昭和13年)6月にかけての
==世界景気の急悪化は==
連盟調査が指摘している如く
アメリカの
金買上げ価格の引下げを予想した「金騒動」
またはイギリスの軍需特別利得税の発表などにより
景気の前途に不安人気が台頭し、それが直接の原因となって遂に崩潰の巳なきにいたったのであろう。
だが、その基調にはイギリスをはじめ民主主義諸国の本格的な再武装を見込んで世界的に行われた主要商品の投機的仮需要が、
余り行き過ぎて遂にその期待を裏切られ、反動的に悪化したことも否定し得ない。
また1938年(昭和13年)は世界恐慌1929年(昭和4年)より漸く9ヶ年を経過し
景気循環による恐慌の年であったのだ。
1937年(昭和12年)秋に勃発した世界の生産恐慌は
1938年(昭和13年)6月を底として漸く好転しはじめた。
アメリカ株価は
1938年(昭和13年)6月の86を最低として、
1938年(昭和13年)9月には104、
1938年(昭和13年)12月は111にと急昂騰を示し、
世界の工業生産も
1938年(昭和13年)6月の88・0を底とし
1938年(昭和13年)9月には95・1、
1938年(昭和13年)12月には100・8
と著るしく改善されている。
世界の貿易指数もまた
1938年(昭和13年)6月の85・4より
1938年(昭和13年)12月には94・3
にと上昇しまず順調な回復を示したのである。
1937年(昭和12年)秋に勃発した恐慌は
1938年6月(昭和13年)をもって漸く底をつき
世界景気は再び上昇過程を辿りはじめた。
この景気好転は本年に入ってますます活況を呈し
政治的危機の最も尖鋭化せる欧洲の諸国においては工業生産に関する限り全くハチ切れるような状態にあるのだ。
1938年(昭和13年)3月の独墺合併を契機としていよいよ緊迫化した世界政局の危機がいま列強をして平和裏にかつてみざる白熱的軍拡戦争に押しやったが、その影響がいま漸く全面的に世界経済を支配するにいたったのである。
近着のロンドン・エコノミストは次の如く述べるいる。
「国際関係悪化の結果として、世界の資源がますます多く軍事的目的に利用され、普通の商取引は停頓の形だ。独伊仏英の諸国において生産活動は一段と好調を呈しているが、これは主として再軍備の支配するところである……」
(つづく)
カットはマルタ港に集結したイギリス地中海艦隊
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