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(回答先: 第1回 (1) 英国の再軍備が全世界に波及 列強の対立深刻化す 【大阪朝日新聞/ 昭和14年】 投稿者 hou 日時 2006 年 8 月 05 日 23:57:46)
(2) 持たぬ国の軍拡 世界経済との関連を稀薄化
同じじ軍拡といっても、
いわゆる
●全体主義国の軍拡
と
●民主主義諸国の軍拡
とによってその世界経済への影響は全く正反対なのである。
次にこの点につきいま少しく具体的に検討してみよう。
日本はいま支那事変を遂行するとともに、より大きな世界政局の危機に対処するため、
全国力を軍拡と国内生産力の拡允に集中しているのであるが、
その具体的な実現方策は日満支の経済資源を計画的に極めて精力的に開発するにある。
戦争の遂行に伴う物動計画と並んで
1937年(昭和13年度)
より日満支を一体とした総合的国防経済力の充実が着手され、
1940年(昭和十六年度)
には鉄鋼、石炭、軽金属、亜鉛、曹達、硫安、パルプ、鉄道車輛、自動車、船舶などの生産につき自給自足の目的が達成せられんとするのである
だが、世界のいわゆる『持てる国』英米仏の諸国は、日本がいま国力をあげて努力しつつある東亜新秩序の建設に対して多大の疑惑を招き、この日本の国防経済力の充実に対して何らの援助を与えようとしない。
従って日本はいまこの目的を達成せんがために、一般民需に多大の節減を加え国氏の消費を制限し、かくして蓄積された資金ならびに資材を国防経済力の充実に集約的に利出せんとしているのだ。
かかる政策の結果として日本の輸入は軍需資材に優先的に集中せられ、棉花、羊毛、パルプなどの一般氏衆の生活資材の輸入は急速に抑制されるのやむなき情勢となった。
このことはソ連をはじめ独伊の諸国も同様に体験するところであった。
数年前、稀にしか外国人に会はないスターリンがアメリカの新聞王ロイ・ハワードと会見したとき、
●ハワードは
アメリカ人特有の率直さで随分思い切った質問をしたのであるが、ソ連では個人の自由や幸福が国家のために犠牲にされているのではないかとの問いに対して、
●スターリンは
『勿論何か新しいものを建設しようとすれば節約を行い、資金を蓄積し、一時自分の消費を縮小し、他から借金をせねばならぬ。新たに家を建てようと思えば零細な金を溜め一時その消費を切詰めねば、新たな家を建てることは出来ない。このことは新たな社会の建設についても同様である。一時的には若干の消費を節約し、相当の資金を蓄積し、苦痛を忍ばねばならない。われわれはそれをやって来たのだ』
と述べている。
●ヒットラー総統も
また1936年(昭和12年)9月ニュールンベルグのナチ党大会において
第二次四ケ年計画を発表したとき
『ドイツは四ケ年以内に、われわれの技術われわれの科学、およびわれわれの機械により生産し得る一再の原料に関しては外国より完全に独立する必要がある』
と喝破したのであった。
当時ドイツはすでに国民消費に多大の節減を加えるとともに羊毛、人造繊維、合成揮発油、合成ゴムなどの化学品工業を急速に発達せしめ、鉄鋼に対しては政府が新たにヘルマン・ゲーリング・ライヒ炭鉱熔煉会社を設立して大規模の貧鉱処理に乗出し従来わずかに自国使用量の六分の一しか生産し得なかった同国の鉄鋼生産を1940年に二分の一までに引上げようと企図していたのである
かかる政策はまたいま
イタリヤにおいても同様に極めて強力に遂行されている。
エチオピヤ戦争の結果としてイタリヤは
1935年(昭和11年)11月より翌年の6月にいたるまで国際連盟による経済封鎖を受けたのであるが、この体験によりイタリヤの経済政策は甚だしく戦時的色彩を帯び『小麦戦争』による従来の小麦自給政策は国防国家の建設をめざすアウタルキーへと質的に改変せしめられた。
●ムソリーニは
1936年(昭和12年)5月、
エチオピヤ併合を宣言した緊急国民大会において次のごとく述べている
『余はイタリヤ経済の計画とも呼ぶべき極めて重要な事項について一言せん。本計画は一つの前提、すなわちイタリヤ国民は次の戦争に当面するの必然性を有するとに本づくものである……直接または間接に国防その他の産業のために活動する大工業についてみるに、かかる大工業は将来一つの単位に組織され、国家の軌道の上に特殊な性質を帯びるにいたるであろう。将来かかる産業の或るものは直接国家がこれを経営し、また間接に統制することとなろう。……』
社会主義国家としてその建国の建前より自国資源を計画的に開発せんとしているソ連は別として、
日独伊の諸国が欧洲と東亜の新秩序建設を目指して再軍備に着手したとき、これら諸国が直面した事態は英米仏の民主主義諸国の非協力であった。
その結果これらの
●『持たざる諸国』がまず最初に当面した●
経済国難は外国為替の入手難であり、軍拡に必要な資材の輸入難であった。
従って日独伊の諸国は再軍備着手とともにみな一様に為替管理わ敢行し、
その後貿易管理、物価統制、軍需生産の奨励と民需生産の抑圧など国家権力の発動による一連の強力政策を断行し
その国民経済を全般的に国家統制の下に再編成するにいたったのである。
かくすること以外にこれら諸国は再軍備に必要なせ国需資材を確保することが出来なかったのだ
かかる政策の結果として、これらの諸国の輸入貿易は年々減退し、
次第にその世界経済との関連を稀薄ならしめる傾向にある国際連盟の調査によれば
過去十ケ年におけるドイツの輸入貿易は次の如く減少し、総商品量に対して自国工業、農業生産の占むる割合は次表の如く増大しているのである。
[図表(ドイツ総商品最に対する工業、農業、輸入の占むる割合%)あり 省略]
われくの常識をもってすれば軍拡は世界景気の一大支柱と解するのが普通だ。
しかしこれを詳細に検討するとき、景気の支柱としての軍拡は世界の物資を自由に動員し得る民主主義ブロックの場合にのみいい得る現象で、
全体主義諸国の軍拡は以上述べ来った如く逆に作用する可能性が多分にあることを認めねばならない
(つづく)
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