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白熱的軍拡下の世界経済 (1〜5・完)
【大阪朝日新聞 1939.5.27-1939.6.3(昭和14)】
(1) 英国の再軍備が全世界に波及 列強の対立深刻化す
1937年(昭和12年)2月16日の夜、
イギリス政府は国防に関する白書を出して、その後5ヶ年間に軍事費15億ポンド(内4億ポンドは公債による)‐約257億円‐の厖大な国防計画を発表し、イギリス国民は勿論的世界を一□せしめた。
この記憶すべき日をもって、世界主要諸国の再武装はこれまでの日独伊およびソ連のいわゆる全体主義諸国より英米仏の民主主義ブロックに波及し、軍拡競争はようやく全面的となり、世界的な規模にまで拡大されたのである。
【※日独伊三国軍事同盟は、1940年(昭和15年)9月】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F
1938年(昭和13年)1月にはルーズヴェルト米大統領は議会に国防に関する教書を送りすでに着手されていたヴィンソン海軍拡充案のほかに、さらにその二割増強を目標とする新ヴィンソン案を発表し、これを成立せしめた。
フランスもまたその財政的苦境にも拘わらず、あらゆる困難を克服して漸く国力のすべてを軍拡に動員するにいたった。このイギリスの再軍備着手を契機とする民主主義諸国の再武装は軍拡を世界的規模にまで拡大するとともにこれら諸国の世界経済に占むる地位よりして、その影響を世界的に看取せしめるにいたったのである。
昨年3月の独墺合併とその後における独伊両国の欧洲政局における目覚しい進出はさらにこれを刺激し、列強再武装はいまや全く白熱化しているのである。
かくの如く世界はいま平和時に曾て経験しない熱狂的な軍拡競争の下にあるのであるが、その世界経済への影響は如何ようであるのか。世界景気は最近漸く回復に向いつつあるのであるが、この景気好転に列強再軍備がどの程度の役割を演じているのか。以下これらの諸点につき若干の考察を加えることにする。
かくの如く世界的規模にまで発展し、まさに白熱的様相を帯びるにいたった。
列強の再軍備は
1929年(昭和4年)のアメリカ株式瓦落を契機としてその後数年にわたって強烈に全世界を襲った世界恐慌にその発端を求めねばならない。
この恐慌を契機として世界経済の内的諸予盾は極めて尖鋭な形でその姿を現わし、列強の対立抗争もこれを反映して甚だしく深刻化したのである。
1931年(昭和6年)には支那大陸には早くも満洲事変が勃発し、
1933年(昭和8年)1月にはヒットラー総統によるドイツ政権の獲得が成功し、ナチス・ドイツの基礎が確立したのである。かくて欧洲大戦後、世界を支配したヴェルサイユならびにワシントン両平和体制の崩潰の兆が漸く姿を現わし、これに代る新秩序建設への努力がまた活溌となるにいたった。
戦後における世界の政治的、経済的諸予盾が余りにも深刻であり、その平和的手段による解決が到底望み得なかったがためであろうか。また恐慌の惨禍が余りに痛烈であり、各国は生きんがためにその手段を考慮するいとまがなかったのであろうか。とにかくこのころより連盟と軍縮を謳歌した平和主義禺能時代は漸く峠を越え、世界は再び武力がものをいう時代に突入したのである。
アメリカ外交協会は漸くかかる機運が台頭した1932年以降(昭和7年)における世界主要諸国の軍事支出につき次の如き興味ある数字を提供している。
このアメリカ外交協会の調査によれば列強が再び武装しはじめたのは1934年(昭和9年)ごろよりであって、
1934‐36年(昭和9年―11年)の期間に世界の軍事支出は79億ドルを増加し、
1936年(昭和11年)にはその総額が129億ドルの巨額に達している。
1936‐38年(昭和11年―13年)にはさらに46億を増し、
1938年(昭和13年)にその総額が175億と引続き飛躍的な増加を続けたのである。
[図表(1932年(昭和7年)以降における主要諸国国防支出(単位百万弗))あり 省略]
この数字をみれば現在巨界の主要諸国の間に行進しつつある軍拡がいかにすさまじく、全く熱狂的といわざるを得ないかを理解し得るであろう。更に興味ある事実は、この熱狂的な軍拡競争はソ連によってその先鞭がつけられたことである。
==ソ連==
1934年(昭和9年)におけるソ連の軍事支出は
1932年(昭和7年)の2億8300万ドルより一躍10億ドルにと飛躍している。
このごろ既に東には満洲事変を契機として日本の支那大陸における目覚ましい発展があり、西には防共とヴェルサイユ平和体制に代る欧洲新秩序の建設を目指すナチス・ドイツの颯爽たる登場があった。この両国の果敢なる進出にあい、ソ連はまず全力をその国防の充実に傾注せねばならなかったのであろう。
1935‐36年(昭和10年―11年)には独伊両国の軍事支出が飛躍的に増大している。
==ドイツ==
ドイツの軍事支出は
1934年(昭和9年)の3億800万ドルより
1935年(昭和10年)には着躍26億ドルに、
1936年(昭和11年)にはさらに躍増して36億ドルに達している、
==イタリア==
イタリヤの軍事支出も34年の2億6400万ドルより
1935年(昭和10年)には7億7800万ドルに急増し、
1936年(昭和11年)には9億1600万ドルにとさらに増加をつづけたのである。
ドイツとソ連の軍事支出の増大はジグザグの形をとって的く対抗的に発展し、
1936年(昭和11年)にはすでにこれら両国のいずれの一国の軍事費のみにおいても英米仏三国の軍事支出を総計したものを凌駕する形勢となった。
イタリヤの軍事支出も1935‐36(昭和10年―11年)の両年にはアメリカを除いて英仏のいずれよりも巨額であった。
かくのごとく世界的に発展した列強の軍拡競争は、まずソ連によってスタートされ、これに独伊の両国が対抗的に開始し、最後にイギリスの再軍備着手を契機として全面的に世界的な規模にまで拡大され、白熱的様相を帯びるにいたったのである。
以上述べ来った如くき1934年(昭和9年)より開始された
●世界列強の再軍備は
1934‐36(昭和9年―昭和11年)年の期間、すなわちいま世界で全体主議諸国とよばれる独伊およびソ連の着手した期間と、
1936年(昭和11年)以降の英米仏のいわゆる民主主義ブロックの開始した期間との二つの時期に明確に分割し得る。
独伊およびソ連が再軍備に着手した第一の期間においては、その再武装の規模がいかに巨大でかつ急速であったとはいえ、これら諸国が世界経済で占むる地位よりして‐それのみならす、これら諸国はいまその経済を戦時自給自足を目指すアウタルキーの基礎におくべく努力しているので、再軍備の進展とともにこれら諸国の世界経済との関連性は次第に稀薄となる傾向にある‐その影響は全面的とはいい得なかった。
世界が軍拡の影響をひしひしと感じはじめたのは英、米、仏の民主主義ブロック諸国がいよいよ本腰を入れて再武装に着手した37年(昭和12年)以降の第二の期間においてである。
(つづく)
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